成田山新勝寺の弘法大師像。宇宙のダイナミズムを描き出した(写真:PhotoNetwork/イメージマート)
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 文芸評論家の安藤礼二氏は、構想に20年、執筆に5年の年月をかけ、真言宗の開祖である空海について1冊の本をまとめた。現代でもその名が語り継がれる空海とはどのような人物で、日本に何を残したのか。『空海』(講談社)を上梓した安藤礼二氏に聞いた。(聞き手:長野光、ビデオジャーナリスト)

──なぜ空海について本をお書きになったのですか?

安藤礼二氏(以下、安藤):私はずっと、民俗学者で国文学者でもあった折口信夫という表現者に興味があり、彼に関する研究を続けてきました。折口は日本各地の祝祭を研究してきましたが、日本の祝祭では、人間が人間を超えた存在に変身します。動物、植物、鉱物を一身に兼ね備えた怪物のような存在に変身する。その代表的な例が鬼です。

 人間を超えた力を手にすることで、森羅万象のあらゆるものとつながり合うことができる。このような日本の祝祭のあり方を規定したのが、空海がもたらした真言密教です。

 大乗を超える仏教の新たな展開としたということで、空海は金剛乗と言いましたが、金剛乗の密教が基盤となり、そこから派生してできたのが日本の能楽です。能楽の根底には人間の変身があり、この理論を整備したのは空海でした。

 空海という人は62歳でこの世を去り、若かりし頃の詩的な自叙伝、『三教指帰』を書き残していますが、実像がよく分からない謎の多い人物です。31歳で遣唐使として唐に渡ったときに初めて「空海」という名前を得たようです。

 それ以前は、険しい山の中で修行をしていました。この山岳修業が現代の修験道(しゅげんどう)につながっていくのですが、その教義の中核に「変身」、より正確に述べるならば、憑依による「変身」という理論と実践があったようです。こう考えると、日本の芸能を考えるときに修験道を外して考えることはできません。

 空海は修験道として結晶する理論と実践を一つの巨大な体系にまとめあげた人物です。日本列島各地の祝祭のフィールドワークを行ってきた私は、その根源を突きつめるためには空海と徹底的に向き合わなければならないと思いました。それがこの本を書いた主な理由です。

──空海がいた時代はどんな時代で、彼はどのような立場だったのでしょうか?