「荒俣ワンダー秘宝館」がある角川武蔵野ミュージアム。世界中から集めた珍品、標本、宝物などがところせましと並ぶ荒俣ワンダー秘宝館は荒俣ワールド全開(写真:共同通信社)
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 数万冊の本を収蔵しきれなくなり、母校に蔵書コレクションの半分を寄贈した経験を持つ博覧強記の人・荒俣宏氏。子どもの頃から人が興味を持たないニッチな知的領域に興味を持ち、膨大に徹底的に調べ、人知れず独自の広大な知の世界を構築してきた。なぜ平凡な知識人になることを拒んだのか。『すぐ役に立つものは すぐ役に立たなくなる』(プレジデント社)を上梓した荒俣宏氏に聞いた。(聞き手:長野光、ビデオジャーナリスト)

──好きなことを自発的にやり続ける人のことを西洋では「アマチュア」と呼ぶと本書の中で書かれています。

荒俣宏氏(以下、荒俣):西洋では「アマチュア」という言葉は、何かの「愛好家」を意味して一目置かれますが、日本でこの言葉は、プロフェッショナルではないその分野で稼げない素人という意味合いで使われます。この考え方はおかしい。

 加えて、そこに「博士号」だの「ノーベル賞」だの権威を付けたがり、その分野で大きな収入を得ている人をプロとして敬う。でも、メジャーリーグの大谷翔平選手はいくら稼いだからすごいみたいな話とは別な、純粋な愛好こそが大切だと思うのです。

 本来、何かのテーマに興味を持って調べたり本を読んだりすることは、必ずしも経済的な利益を目的にはしていません。逆に、それが愛好家としての喜びや生きがいとなることが理想的だと思います。知のアイドルのように注目された博物学者の南方熊楠も、近代の教育システムの源を作った福沢諭吉も、ノーベル賞はおろか博士号さえ持っていませんでした。

 明治の学問を考えると明確でしょう。当時の先端教育は私塾が担っていて、先生は生徒のご飯や寝床まで面倒を見ていました。つまり師弟関係です。ただ、政府の官僚などが国のトップよりも塾の先生を尊敬するようでは、彼らを仕事させづらい。それで、組織の命令に従う官僚の育成をめざす国立大学を頂点に置いて、師の教えよりも大学の卒業証書や博士号を最大の権威とする「プロの教育」を始めたのです。

 でも、教科書なんてできようができまいが、好きだったら自然と教科書以上になるはずです。アマチュアとして何かを追求しても、大金持ちにはなれないかもしれないけれど、それで楽しく暮らせるし、生きることに意気込みを持てる。それがアマチュア精神の原則であり基本です。

 ひるがえって現代を見れば、ますますコンピュータやAIが普及して従来型の学校のお勉強的な競争が意味を失いつつあります。さらに、セーフティネットが充実する未来になるのであれば、僕はアマチュア精神こそが、これからますます重要になると思います。

──幻想文学、神秘学、風水、博物学など、荒俣さんは、数々のニッチな知的領域に興味を持ち、その分野について独学で膨大に学ばれました。ご自身が興味を持つニッチ領域には共通点がありますか?