最初の結婚と夫の出奔

 セツが最初に結婚したのは、明治19年(1886)、セツが18歳の年である。

 相手は、鳥取藩士であった前田小十郎の次男で、前田為二という。結婚当時、為二は28歳で、婿養子として迎えられた(入り婿婚)。

 為二の勤め先は、県庁とも機業会社ともいわれる。

 前田家は、稲垣家と同じように困窮した士族だった。

 物語好きのセツは、為二にも物語をせがみ、「鳥取の布団の話」という話を聞いている。

 同じ頃、実父・小泉湊の織物会社が倒産。湊も明治20年(1887)5月、51歳で亡くなってしまう。

 さらに、セツの夫・為二が出奔した。

 多額の負債を抱えた稲垣家に、耐えきれなかったのだろう。

 セツは、為二が大阪にいることを突き止めると、旅費を工面し、迎えにいく。

 為二に会い、必死に戻ってくるように懇願するも、冷たい言葉で拒まれた。

 この時セツは、橋の上から投身しようとまで思い詰めたが、家族の顔が脳裏をよぎり、思いとどまったという(長谷川洋二『八雲の妻 小泉セツの生涯』)。

 家族を養う決意をしたセツは、松江に戻り、為二との婚姻関係を解消する。

 離婚届は明治23年(1890)1月に正式に受理され、セツは戸籍上、実家の小泉家に復籍した。