ワレットと虫眼鏡

 明治4年(1871)、3歳の頃、セツは未来を予言するような事件を経験している。

 当時の松江藩では、フランス生まれのフレデリック・ヴァレット(松江では「ワレット」と称される)を招いて、藩士にフランス式調練を行なっていた。

 調練には、多くの見物人が集まったという。

 ある日、セツも養母・トミに連れられ、親戚や友人などとともに、調練を見に行った。

 調練を見物していると、赤い髪の毛で背が高い西洋人が、セツたちに近づいてくる。これが、ワレットである。

 他の子どもたちは西洋人に恐れをなし、一目散に逃げ出していく。

 ところが、少しも怖いと感じなかったセツは、逃げずに、ワレットを見上げた。

 セツの度胸を、気に入ったのだろうか。ワレットは笑顔でセツの頭を撫で、小さな虫眼鏡を手に握らせている。

 ワレットがくれた虫眼鏡は、当時の日本にはない、とても良い品で、セツの生涯の宝物となった。

 また、虫眼鏡をくれた西洋人を、セツは「非常に良い人」だと思ったという。

 このワレットとの邂逅は、大きな意味を持つことになる。

 なぜなら、セツの手記「幼少の頃の思い出」(小泉節子『思ひ出の記』所収)によれば、「私がもしも、ワレットから小さな虫眼鏡を貰っていなかったら、後年、ラフカヂオ・ヘルン(ラフカディオ・ハーン)と夫婦になる事もあるいはむずかしかったかもしれぬ」と綴られている。

 ワレットとの邂逅は、セツはもちろん、八雲の運命も変えたのだ。