このような歴史上の人物については、おもしろがっていてもいいだろう。
だが、これが生存している、あるいは自分と親密だった人間の場合、どうとらえたらいいのか。
「息子を生き返らせたいわけじゃないんだ」
そのことを考えさせられるドキュメンタリー番組があった。
NHKのBSスペシャル「そして、息子はAIになった」(9月5日放映)という番組である。実在する家族のリアルな姿を描いたものだ。
2018年、アメリカの高校の銃乱射事件で17人が死亡したうちの1人ホアキン。
かれの父親がかれの声を社会に届けたくて、企業に、AIによる息子の再現動画を依頼したのである。
「AI息子」ができてきて、会話をする。かれが「自分が死んで2年経つが、何も変わっていない。いまだに人が銃で殺されている」という。
父親は「日本で子供が銃で死ぬことなんてない。確率はゼロだろう」という。だがここでは銃暴力による殺人が1位だという。
父親は、双方向の対話が可能なアバターを作る、イスラエルの別のAI企業に依頼する。
動画は写真があれば作れる。音声は30秒のサンプルが必要(歴史上の人物の動画が無声なのは、そのサンプルがないからとわかる)。
ホアキンの再現動画は「ホアキンAIプロジェクト」と呼ばれ、試作品が送られてくる。本人は「体はなくてもしゃべることはできるよ。すごい」といい、母親はかれの「笑顔がみたい」という。
父親は「これが偽者だとわかっている。これを本物と思ったら、ほんとのホアキンを貶めることになる。僕らは息子を生き返らせたいわけじゃないんだ」という。
一家は21年前に、ベネズエラから米へやって来た移民だ。
やがて生活も安定し、家を買い、アメリカンドリームを実現した。ところが1発の銃弾で家族は破壊された。
ホアキンの姉は、動画を「気味悪くない?」という。AIなんかなくても、弟の考えてることはわかる。そして動画を「見たがやっぱり好きになれない」。
その姉に赤ちゃんが生まれ、ホアキンに紹介する。するとホアキンが喜ぶのだ。双方向の会話がいかにも自然である。
父母にとって「AIホアキン」は「心の癒し」である。
ホアキンの誕生パーティを開き、多くの人が集まる。ホアキンと会話をする。涙を流す参加者もいる。