写真:Leigh Prather/Shutterstock

(勢古 浩爾:評論家、エッセイスト)

 わたしはここ1、2年、人の人生の90%を決めているのは、単純に、運(不運)ではないか、と考えるようになった。

 お金や才能ではない。お金も才能も、運によるものだ。

 このように考えることになった直接的なきっかけは、2018年に脳梗塞になったことである。

 脳梗塞になっても、4.5時間以内に血栓を溶かすtPAという特効薬の治療を受ければ、大きな後遺症もなく回復する、とされている。

 だがわたしの場合(細かいことは省くが)、夕方4時ごろに発症したのだが、それが脳梗塞だと気づくまで時間がかかったため、救急車を呼んだのが午前1時頃だった。

 それから病院が決まり、実際に病院に着いたのは、さらに1時間後の午前2時ぐらいだったか。

 要するに、発症してからすでに10時間ほど経っていたのである。とっくに安心時間である4.5時間の倍以上の時間が経っていた。

 これはふつうだと、アウトのケースではないのか。

 ところがわたしはなぜか手術もせず、ほとんど大きな後遺症もなかったのである。

 だがあとで考えて見ると、半身不随や言語障害などの重篤な後遺症が残ってもおかしくなかったのである。最悪、死んでいたかもしれないのだ。

 わたしは改めて、なぜわたしは助かったのだろう、と考えた。

 どう考えても、これしかない。

 ただ単に、運がよかっただけである。

なぜわたしはまだ生きているのか

 しかしこう考えてみると、生きているうえでのほとんどのことが腑に落ちたのである。

 昨年、同世代の人の死が多く報じられた。もっと若い人だって亡くなっている。

 しかしわたしはなぜかまだ生きている。前立腺がんにもなっていない。まだ認知症にもなっていない。これまでの人生で、大きな事件や事故や災害にも遭遇していない。

 なぜなのか。

 これもただ運がいいだけ、である。