現在では、どのような家に生まれるかで、概ねその後の人生が決まるといわれるようになった。いや、昔はもっとひどかったよ、といってもしかたがない。わたしたちが生きているのは「いま」なのだから。
裕福な家に生まれるか、貧苦の家に生まれるか。賢い両親のもとで生まれるか、暴力的な親のもとに生まれるかで、もう将来の半分以上が決まってくるだろう。
多くの人は、自分の家庭環境がまともだったことに感謝していることだろう。あの父と母の子として生まれたことは、なんと運がいいことだったかと。
両親と人に恵まれた渋沢栄一
「日本資本主義の父」といわれる渋沢栄一は運の強い人である。
中村彰彦は、「(渋沢は)大変運の良い人であるが、最初の幸運はこのように財力と見識を併せ持つ父とおもいやりの心深い母の間に生まれたことであった」という(『幸運な男――渋沢栄一人生録』文春文庫、2024)。
渋沢栄一の生涯をながめてみると、いかに幸運に恵まれていたかがわかる。いい両親。これが渋沢の第一の幸運だった。
どんな家庭に生まれるかに次いで大事なのは、どんな人間に出遭うかである。
渋沢は「創立に関与した企業は500社を超え」「近代日本建設の土台を作った」といわれるが、かれひとりの力でできたわけではない。
かれのために適所を見つけ、重用してくれた人に出遭っているのだ。
中村彰彦はさらこう書く。
「ここまで書いてきて筆者が感じるのは、渋沢栄一という人間の運の良さである」。かれが道を外れようとしたとき、「一橋家の家臣として採用してくれた」人、維新後、渋沢の「身を案じ、ずっと静岡藩にいられるよう水面下でとりはからってくれた」徳川慶喜など、人に恵まれたのである。

こういう運に恵まれた人間はいるものである。
しかしそれなら、目的をもち、そのために努力する人間の意志など、なんの意味もないのか。
そんなことはない。