いやいや、おれはちがうよ、という人がいるだろう。

 おれは子どもの頃から、おとなになったらプロ野球選手になりたいと思い、人並み以上の努力をした。

 その結果、念願のプロ野球選手になることができた、という人がいるだろう。その最も輝かしい例は、大谷翔平選手だろう。

日本ハムの入団会見で笑顔を見せる大谷翔平(2012年12月、写真:共同通信社)

 ほかにも、五輪で金メダルを取った、医者になれた、起業し数十億円の資産を築いた、という人がいることはたしかである。

 小さいときに夢をもち、目標をもち、そのために不断の努力をした人である。

 こういう人にとっては「人生は90%の意志である」かもしれない。しかしそんな場合でも、それが90%の意志だけによるものだとは思えない。

 その90%の内訳は、一々、幸運に支えられていたかもしれないのである。

 たとえばそういう人は、元々どういう親のもとに生まれ、成長したのか。また、病気にもならず、大きなけがもしなかったのは、幸運だったのではないか。

どの時代、どの地域、どんな家に生まれるか

 人間の生涯を大きく見れば、人は生まれる時代や、生まれる場所を選んで、生まれることができない。

 歴史のどの時代に生まれるかということ、また世界のどの地域に生まれるかということは、まったくの偶然である。最も大きな運(不運)であるといっていい。

 そういうことでいえば、わたしたちが現代の日本に生まれたということは、大いなる幸運といわねばならない。だがこれはわたし個人の運の問題ではない。同世代の日本人にひとしく与えられた所与の幸運である。

 そしてその大いなる幸運の中で、一人ひとりの人生に無数の運・不運が生じる。

 生まれる時代や地域もそうだが、そのうえで、個人にとってはどんな家に生まれるかが重要になってくる。