押し付け養子
押しつけ養子の最大の被害者は、御三家の一つ・尾張徳川家だといわれる。
寛政6年(1794)、家斉は榎木孝明が演じる尾張藩九代藩主の徳川宗睦の長男・五郎太と、家斉の長女・淑姫(ひでひめ)を縁組した。
ところが、五郎太はその年に、幼くして亡くなってしまう。
そこで家斉は淑姫を、家斉の甥・一橋愷千代に再嫁させ、家斉の三男・敬之助(第六子)を、宗睦の養子に送り込んだ。
だが、敬之助も寛政9年(1797)に、死去してしまう。
すると、家斉は一橋愷千代を、宗睦の養子にした。この愷千代が、尾張藩十代藩主の徳川斉朝(とくがわなりとも)である。
さらに、斉朝・淑姫夫妻に子がなかったことから、家斉は46番目の子である斉温(なりはる)を斉朝の養子に送り込み、尾張藩十一代藩主とした。
斉温も天保10年(1839)に没すると、今度は御三卿の一つ・田安家に養子に入っていた三十番目の子・斉荘(なりたか)を送り、尾張藩十二代藩主としている。
このように、尾張徳川家には家斉の子が4人も養子に入り、初代・義直以来の血統は根絶されてしまった(以上、篠田達明『徳川将軍家十五代のカルテ』)。