歴代将軍最長の在位50年

 安永8年(1779)、十代将軍・徳川家治の嫡男である、奥智哉が演じた徳川家基が、数えで18歳の若さで急死した。

 家治にはもう一人、貞次郎という男子がいたが、彼もすでに亡くなっていた。

 その後も子ができなかったため、家治は養子を迎える決意をし、田沼意次らに選定にあたらせる。

 そうして、養子に選ばれたのが、家斉だった。

 意次が家斉を選んだのは、一橋家との関係の深さが一因とも、自分が選定した将軍となれば、家斉の時代も、引き続き権勢を手にできると考えたとも推定されている(安藤優一郎『田沼意次 汚名を着せられた改革者』)。

 天明元年(1781)閏5月、家斉が家治の継嗣となることが公表され、家斉は江戸城西の丸御殿に入った。家斉、9歳の時のことである。

 天明6年(1786)8月25日、家治が死去すると(幕府は「9月8日死去」と公表)、翌天明7年(1787)、家斉は15歳で、十一代将軍に就任した。

 以後、家斉は天保8年(1837)に隠居するまでの長きにわたって、将軍の座にあり続けた。

 在位50年は、歴代将軍のなかで最長である。

 二番目に在位が長かったのは、八代将軍・徳川吉宗の29年と1ヶ月であり、家斉の在位50年は異例の長期政権であることがうかがえる。