オットセイ将軍と称される理由は?
家斉の正室は、田中幸太朗が演じる島津重豪(しまづしげひで)の娘・茂姫(広大院)である。寛政元年(1789)、家斉が17歳の時に迎えている。
正室の他に、家斉には多くの側室を抱えていた。その数は、正式に認知されているだけで16人、実際には40人以上だったという。
家斉が「オットセイ将軍」とも称されるのは、こうしたハーレム状態を、1頭のオスが多くのメスを従え、子作りに励むオットセイになぞらえているように思えるが、実は家斉が、オットセイを原料とする漢方薬を愛用していたからだという(岡崎守恭『遊王 徳川家斉』)。
子女は59人?
また、家斉は子だくさんの将軍として知られる。
家斉の子どもの数は、53人、55人、57人、59人など諸説がある。これは、流産や死産をどう位置づけるかの違いだという(岡崎守恭『遊王 徳川家斉』)。
いずれにせよ、夥しい数の子宝に恵まれたのは確かだろう。
しかし、6歳まで成長できたのは、30人だったという。
家斉は成長した子どもたちを、諸大名と縁組みさせていく。
縁組みをさせられた大名からは「押し付け養子」とも称されたという(以上、竹内誠・深井雅海・松尾美恵子『徳川「大奥」事典』)。
押しつけ養子は、様々なトラブルを呼ぶことになる。