能登島と七尾湾の朝焼け。実に美しい(筆者撮影)
「この先、どうすればいいのか」今も続いている能登の被災者の苦難
「運のいいことに、能登で地震があった……」
7月8日、自民党の鶴保庸介参議院予算委員長が演説で発したこの発言には、各方面から厳しい批判が寄せられました。これを受けた鶴保氏はすぐに「失言」を認めて謝罪し、6日後の14日、予算委員長辞任しました。しかし、辞任したところで、被災地の方々の怒りややるせなさは簡単に収まるものではないでしょう。
先月、私は車を運転して能登半島を訪れました。2024年1月1日に発生した大地震から1年半、能越自動車道をはじめとする半島内の道路の多くは、いまもアスファルトが隆起したり、陥没したりしたままで、速度を落として走行しても車体は上下に大きく弾み、たびたびハンドルを取られました。
想像以上の悪路に驚きながらたどり着いた輪島の街は、閑散としていました。倒壊した多くの建物はあの日のままの状態で残され、橋も通行止めです。
輪島の橋。震災から1年半が経った現在も通行止めのままだ(筆者撮影)
現地で知り合った50代の男性は、力なくこう話しました。
「実は明日、うちの家が公費解体されることになって、現場で立ち会うことになっています。まあ、やっとここまで来たという感じですが、やっぱりつらいですね。家の中には思い出のものもたくさんあるのですが、取り出すこともできないんです。それに、今住んでいる仮設住宅の期限まであと半年くらいしかありません、本当に、この先どうすればいいのか……」
輪島の街にはいたるところに倒壊したままの住宅が残されている(筆者撮影)
