浅間山噴火(1783年、提供:CCI/アフロ)
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 NHK大河ドラマ『べらぼう』で主役を務める、江戸時代中期に吉原で生まれ育った蔦屋重三郎(つたや じゅうざぶろう)。その波瀾万丈な生涯が描かれて話題になっている。第25回「灰の雨降る日本橋」では、丸屋を買い取って念願の日本橋に進出した蔦重だったが、浅間山の大噴火で江戸にも灰が降り注ぎ……。『なにかと人間くさい徳川将軍』など江戸時代の歴代将軍を解説した著作もある、偉人研究家の真山知幸氏が解説する。(JBpress編集部)

甚大な被害を及ぼした「天明の大噴火」

 吉原を飛び出して、日本橋への移転が決まった蔦屋重三郎だったが、いきなり災害に見舞われることになる。のちに「天明の大噴火」と呼ばれる、浅間山(長野県と群馬県境の山)における大規模な噴火のことだ。実際にどんな災害だったのだろうか。

 日本の代表的な活火山である浅間山は、これまでも何度となく噴火を繰り返してきた。そのなかでも最も大規模な噴火となったのが、「天明の大噴火」だ。天明3(1783)年4月9日から断続的に始まり、いったんは収まったものの、5月26日に再び活発化し、噴煙が各地に灰を降らせることとなった。

 7月7日の夜から翌朝にかけての約15時間に火砕噴火の最盛期を迎えると、成層圏まで上昇した噴煙が偏西風で流されていき、風下では軽石や火山灰が激しく降ったという。

 山腹では火砕流や溶岩が流れていく。現在、観光地として知られる「鬼押出し」はこの時に形成されたものだ。まるで、火口で鬼があばれて岩を押し出したように、当時の人びとには思えたらしい。

 噴火による死者は1600人以上にも及んだが、中でも壊滅的な被害を受けたのは、浅間山の麓に位置する群馬県・鎌原地区だ。鎌原火砕流(岩屑なだれ)によって477人が死亡。村の人口の実に約8割が命を落とすという異常事態に陥っている。