意次失脚のきっかけとなった「天明の大飢饉」と大洪水

 ドラマでは「恵みの灰」として災害をうまく蔦重が利用することになったが、史実において、この浅間山噴火はあまりにもタイミングの悪い災いだった。

 ただでさえ、東北地方全土が激しい冷害に襲われていたときだ。そこに火山灰によって日光が遮られ、さらなる冷害を招くことになったのだから、たまったものではない。大噴火が「天明の大飢饉」とのちに呼ばれる飢饉をエスカレートさせることになった。

 それだけではない。浅間山噴火の影響は多方面に及び、田沼意次の政策をも停滞させることになる。

 意次は、新田開発と治水、水運の改善を目的に、印旛沼の干拓事業に着手。浅間山噴火が収まってから約8カ月後の天明4(1784)年3月には、勘定所役人が現地に出向いて、工事場所の杭打ちと測量を行っている。

 天明5(1785)年末頃に着工し、天明6(1786)年3月に印旛沼の水位を下げる工事を行ったが、7月に大洪水に見舞われる。大増水した利根川の水によって、利根川と印旛沼とを遮断した堤は破壊されてしまった。

 何とも不運だが、大洪水の背景には、3年前の浅間山大噴火によって、大量の灰が注いだ結果、川底が浅くなっており、そこに大雨が降ったことがあった。意次としても、まさか浅間山大噴火の影響が、数年後にまで及ぶとは考えもしなかっただろう。

 結局、天明2(1782)年からの「天明の大飢饉」は天明8(1788)まで7年間にも及び、全国各地で一揆や打ちこわしが頻発。意次は辞任に追い込まれることになる。

 意次にとって浅間山大噴火は、自身の失脚へのカウントダウンが始まるきっかけとなる、忌々しい災害にほかならなかった。意次がどのように江戸城を去ることになるのか。今後の放送に注目したい。