「メークドラマ」「セコム、してますか?」

 ドラフトで自らくじを引き当てた松井秀喜氏を熱血指導し、翌94年は同率首位の中日と最終戦でリーグ優勝が決まる「10・8」を制し、西武との日本シリーズにも勝って監督として初の日本一を経験した。96年に「メークドラマ」、2000年には、現役時代に切磋琢磨した王貞治氏率いるダイエー(現ソフトバンク)と日本シリーズで「ON対決」を実現させた。

巨人入団前に長嶋茂雄氏(右)と握手する松井秀喜氏=1992年(写真:スポーツ報知/アフロ)

 2004年開催のアテネ五輪日本代表の指揮を執ることが決まったものの、直前の同年3月に脳梗塞に倒れ、右半身にまひが残った。懸命なリハビリに励み、筆者が産経新聞の巨人担当だった2008~09年も、たびたび東京ドームを観戦に訪れていた。

 13年には松井氏とともに国民栄誉賞が授与され、新型コロナウイルス禍の21年東京五輪の開会式では、王氏、松井氏とともに国立競技場での聖火ランナーを務めた。

 1990年から35年にわたってアンバサダーを務めた警備サービス会社セコムのCMのキャッチコピー、「セコム、してますか?」は幅広い世代に浸透した。時代を駆け抜け、今年3月には、米大リーグ、ドジャースの大谷翔平選手と対面した。

 大谷選手は訃報を受けて、自身のインスタグラムを更新し、ツーショット写真とともに「心よりご冥福をお祈りいたします」と綴った。戦後の昭和、平成、そして令和の3つの時代を生き抜いた長嶋氏の訃報は、米国でも報じられ、第2次世界大戦後の日本復興、経済成長の象徴的存在だった国民的英雄だったことなどが現地メディアの記事で紹介された。

 そんな長嶋氏の訃報をこの日、日本国内のメディアはどう報じたか。

 まず、各社の評伝記事を読み比べると、一つの傾向がみてとれた。