人物像に迫る取材、令和時代にどこまで
長嶋氏ほどの存在になれば、不測の事態に備えて、各社には訃報時の「予定稿」が存在する。歴代の番記者が幾多の思い出やエピソードをしたためていたはずだ。だが、少なくとも、89歳となった長嶋氏のおもしろおかしく語られてきた現役時代のエピソードは、時代を記録してきた新聞社においても、評伝を署名で書く記者にはすでに伝聞による情報であることが浮き彫りとなった。ベテラン記者ですら、長嶋氏は少年時代のあこがれで、野球記者の世界へ導いてくれたまばゆい存在だったのだから仕方がない。
一般紙の社会面は、スポーツを超え、プレースタイルと人柄で戦後の日本社会を明るく照らした「太陽」のような存在であることを紹介している。だが、端的なワードで切り取ることができなかった苦悩もうかがわせた。長きにわたった活躍をどの時代の記者の視点でとらえるかは簡単ではない。それだけ偉大な人物だったことは容易に想像がつく。
一方、現役を終えた後の各社の番記者たちが、長嶋氏から取材した内容もやはり興味深く、引き込まれるものが多かった。詳細は各社の紙面に委ねるとして、取材は食事会や自宅など多岐にわたり、ときに単独での取材機会で聞き出した話もあった。決して横並びではない記事が目立った。
メディアと取材対象の距離は現在、当時とは比べものにならないくらい広がっている。筆者はやみくもにプライベートに足を突っ込むような取材には反対の立場で、取材対象と一定の距離があることは決して悪いことではないと考えている。
ただ、記者会見のコメントに頼るだけでは、メディアの存在価値は揺らぐ。ネットによる速報記事でアクセス数が求められる時代に、取材対象の人物像に迫ろうとする記者はどれだけいるだろうか。各紙に掲載された、往年の番記者らによる長嶋氏の評伝からは、令和のスポーツ報道の姿勢が問われているように思えてならない。
田中 充(たなか・みつる) 尚美学園大学スポーツマネジメント学部准教授
1978年京都府生まれ。早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修士課程を修了。産経新聞社を経て現職。専門はスポーツメディア論。プロ野球や米大リーグ、フィギュアスケートなどを取材し、子どもたちのスポーツ環境に関する報道もライフワーク。著書に「羽生結弦の肖像」(山と渓谷社)、共著に「スポーツをしない子どもたち」(扶桑社新書)など。