ベトナム人6人に1トンの火薬

 ベトナム戦争は第2次世界大戦後、共産主義国家の建設を目標とするベトナム民主共和国(北ベトナム)と、反共産主義で自由主義経済を掲げるベトナム共和国(南ベトナム)の対立で始まりました。北ベトナムをソ連と中国が、南ベトナムを米国が支援。東西の冷戦下で両陣営による代理戦争として激化していきます。

図:フロントラインプレス作成

 ベトナム戦争の歴史には日本も関わっています。

 ベトナムは19世紀後半にフランスの植民地となり、第2次大戦では日本が占領しました。第2次世界大戦が終わり、1945年に日本が撤退すると、「ベトナム建国の父」と呼ばれるホー・チ・ミンが北部で独立を宣言。それを認めない旧宗主国フランスとの間で第1次インドシナ戦争が始まりました。結果はフランスの敗北。そして1954年のジュネーブ協定によって、ベトナムは南北に分割されたのです。

 米国が軍事介入し、本格的なベトナム戦争が起きるのはここからです。南ベトナムやその周辺国が共産化することを恐れた米国は、1964年に「米国の軍艦が北ベトナム軍に攻撃された」とするトンキン湾事件を理由に、北ベトナムを爆撃する「北爆」を始めます。一般にはこの時点がベトナム戦争の始まりとされています。

 米軍は総計で約54万人の兵士を投入し、大規模な戦闘を繰り広げました。ベトナム戦争が「現代史で最悪の局地戦」と言われる背景には、兵器の量と種類が関係しています。 米軍が使用した火薬の量(TNT火薬換算)は、第2次世界大戦で使われたすべての火薬量の2.8倍に達するとされました。日本の国土の9割弱の広さしかないベトナムでは、計算上、ベトナム人6人に1トンというとてつもない量の火薬が使われたのです。

 猛毒のダイオキシンを含んだ枯葉剤、ナパーム弾、クラスター爆弾、対人地雷など、核兵器以外の武器はすべて使用されたとも言われました。ベトナムは地形も変わるほどの焦土になったと言われています。

 それでも米国は勝てませんでした。正規軍を投入して敗れた初めてのケースです。北ベトナム軍がサイゴンを陥落させる2年前の1973年に米軍はベトナムから撤退しましたが、若い兵士を中心に約5万8000人が犠牲になりました。

 世界最強の軍を投入しても勝てなかった米軍。その状況は、米国内だけでなく世界各国で反戦機運を高め、各国の国内政治や国際関係に大きな影響を与える「政治の季節」を到来させました。