手荷物検査や身体検査はどこまでやるべきか?
また、人力だけに頼るのではなく、機械を導入した治安向上にも取り組んでいく必要がある。
例えば、2020年7月に開催予定だった東京五輪を目前にした同年2月、東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会推進本部事務局は東京メトロの霞ケ関駅で機械を使った手荷物検査の実証実験をしている。
大規模なイベントでは入場ゲートで手荷物検査や身体検査が実施されることは当たり前の光景になっているが、このときは本格的に運用されなかった。手荷物検査や身体検査は係員が慣れていても3~5分程度の時間を要する。不慣れだと長蛇の列ができてしまい、駅が混雑し、それが逆に事故を誘発する危険性もある。
そうした事情に加え、手荷物検査や身体検査は乗客の利便性を損なうという判断もあり、鉄道各社は導入に二の足を踏む。
その代替策として、鉄道各社は駅・車両の防犯カメラの設置台数を増やして駅構内の警戒を強めることに力を入れる。最近では防犯カメラにもAI機能を搭載して、怪しい挙動をする不審者の検出を迅速化するなど未然に事件・事故が起きないようなチェック体制を整備している。
だが、安全対策に完璧はない。どんなに万全な対策を講じても、テロリストはそれをかいくぐって実行に及ぶ。そして、荷物検査や身体検査を実施すれば安全性を高められるものの、その一方で鉄道事業者が考えるように乗客の利便性は損なわれる。
筆者は、海外でもいくつかの国で列車に乗った経験があるが、スペインではAVE(スペイン版の新幹線)の乗車前に荷物検査・身体検査があり、出発時刻の30分前にはゲートに集まってチェックを受けなければならなかった。

中国の北京では、地下鉄や路面電車でも荷物検査・身体検査を実施していた。いちいちチェックを受ける煩わしさは感じたものの、所要時間は1分程度だったので利便性を損ねているとは感じなかった。とはいえ、通勤ラッシュ時には不満に思う人も出てくるだろう。
時代とともに鉄道に安全性を追求する機運は高まっているものの、それと同時にストレスが少ない利用を求める声も根強い。安全性と利便性を完全に両立させることは難しい。詰まるところ、日本社会が安全性と利便性を天秤にかけて、どこまでやるのが妥当なのかというボーダーラインを決めることになる。それは時代によっても変化するだろう。
鉄道車内や駅構内に防犯カメラを設置することも、当初は侃々諤々の議論が交わされたが、いまや列車内や駅構内にカメラが設置されていても利用者の多くは当たり前と受け止めて気にしない。そうした社会全体で形成合意を経たボーダーラインにより、今後の鉄道におけるテロを防ぐためにどこまで取り組むのかといった方針も定まっていくことになる。

【小川 裕夫(おがわ・ひろお)】
フリーランスライター。1977年静岡市生まれ。行政誌編集者を経て、フリーランスのライター・カメラマンに転身。各誌で取材・執筆・撮影を担当するほか、「東洋経済オンライン」「デイリー新潮」「NEWSポストセブン」といったネットニュース媒体にも寄稿。また、官邸で実施される内閣総理大臣会見には、史上初のフリーランスカメラマンとして参加。取材テーマは、旧内務省や旧鉄道省、総務省・国土交通省などが所管する地方自治・都市計画・都市開発・鉄道など。著書に『鉄道がつなぐ昭和100年史』(ビジネス社)、『渋沢栄一と鉄道』(天夢人)、『東京王』(ぶんか社)、『全国私鉄特急の旅』(平凡社新書)、『封印された東京の謎』(彩図社文庫)、など。共著に『沿線格差』(SB新書)など多数。