鉄道テロ対策が真剣に議論されるようになった「地下鉄サリン事件」
列車爆破で有名な事件は、1962年から1963年にかけて起きた「草加次郎事件」だろう。
同事件は草加次郎を名乗る犯人が、地下鉄銀座線に爆発物を仕掛け、10人が重軽傷を負った。草加は有名女優の自宅に爆発物を送りつけたり、日比谷の劇場を爆破したりと必ずしも鉄道だけをターゲットにしていたわけではない。

だが、草加に触発されて列車が爆破される事件は、その後も相次いだ。1967年、兵庫県を走る山陽電鉄の車内で荷物が爆発。翌1968年には、東京都と神奈川県を結ぶ横須賀線の車内でも網棚に置かれていた荷物が爆発している。さらに1972年にも奈良県内を走る近畿日本鉄道の車両内に放置されていた手提げカバンが爆発するという事件も起きた。
これら爆発物による鉄道への攻撃を、『新幹線大爆破』と同一視してテロと断じることは難しい。これらの事件の多くは犯人が特定されておらず、逮捕された横須賀線爆破事件の犯人も特定の政治思想から行動に出たわけではなかった。犯人は、単に恋人に振られた腹いせに横須賀線を爆破したに過ぎない。これをテロと見ることはできないだろう。
しかし、立て続けに起きた爆破事件を、日本社会はどこかで軽視していたフシがある。『新幹線大爆破』の旧作が上映されても、あくまでも映画はフィクションであり、現実の日本でこのようなテロは起きるわけがない、と。そのため、長らく本格的なテロ対策は講じられてこなかった。
そして、安全な日本という淡い願望は1995年に起きた地下鉄サリン事件で打ち砕かれる。
地下鉄サリン事件は、営団地下鉄(現・東京メトロ)各線で神経ガスのサリンを散布したことで起きた化学テロ事件だ。日本初の鉄道テロと受け止められ、同事件を機に鉄道はテロの標的になり得るとし、真剣に対策が議論されるようになった。

それでも、地下鉄サリン事件後のテロ対策といえば、駅構内のゴミ箱を撤去するぐらいしか目立たなかった。
サミットやAPECなど世界の首脳が集まる国際会議が開催されている期間は、駅のコインロッカーが使用停止になるといった措置が取られた。国際会議の開催地が東京ではなくても山手線などの主要駅ではテロ対策を大義名分としてコインロッカーの一時使用停止やゴミ箱の撤去が断行された。これらは爆発物を想定した対策だが、これだけで要人の安全性を高める効果は乏しい。
地下鉄サリン事件はテロ対策のターニングポイントになったが、それ以前から鉄道を標的とした組織的なテロも発生した。
例えば、1978年に東京と成田空港を結ぶ京成電鉄の特急「スカイライナー」の車両が放火される事件が起きている。
同事件は未解決のまま1993年に公訴時効を迎えたが、1970年代から激化した三里塚闘争(成田闘争)による影響と見る向きが強い。千葉県警察は時効を迎えても警戒を緩めていない。京成と同様に成田空港の近隣を走る芝山鉄道には、2010年ごろまで千葉県警の警察官が警乗していた。
筆者は過去に芝山鉄道や千葉県警に対して、列車内における警察官の警乗について取材を試みたことがあるが、両者ともに安全上の観点から回答を得ることはできなかった。テロ対策という観点から考えれば回答拒否は当然のスタンスだろう。
現在、芝山鉄道は警察官から警備員への警乗に切り替えたが、成田空港の治安対策という役割に変化はない。