最後の百条委員会で報告書の総括を読み上げる奥谷謙一委員長。調査は約9カ月間で計18回に及んだ=3月4日、神戸市中央区の兵庫県庁

認識の欠如、胆力のなさ…結局は「資質」の問題

 百条委報告書が公表された3月4日、委員らが並んだ記者会見で、私は一つだけ質問をした。

 告発文書をめぐる一連の問題が起きた最大の要因は何か。つまり、問題の本質はどこにあると委員らは考えているのか。斎藤の個人的資質か、登用した幹部職員の体制や彼らの資質か、あるいは兵庫県庁という組織のマネジメントや風土に問題があったのか。

 奥谷謙一委員長は「個人の見解」と断ったうえで、斎藤の「認識の欠如」を挙げた。

「初動対応で文書の徹底調査を命じ、作成者を特定したわけだが、知事という権力者が自ら誹謗中傷と断定し、文書に書かれた当事者である利害関係人(片山安孝元副知事ら)に調査を継続させた。この調査方法に何ら疑問を抱くことなく進めてきた感覚……そこに問題意識がなかったことが非常に問題だと思う」

 公明党の伊藤勝正委員は、斎藤が文書を「嘘八百」と断じた昨年3月27日の記者会見を挙げて、こう言った。

「知事の胆力、耐える力が著しく欠如していることを周りの人間が認め、諫めて、アドバイスする体制がまったくなっていなかった。そのことが(片山元副知事に対する)尋問ではっきりした」

 こうした見方に立てば、問題の根幹はやはり、昨年9月の不信任決議で指摘された「知事の資質」に行き着く。

 百条委の結論が出る前に不信任決議を行ったことは失敗であり、順序を誤った悪手だったと今では言われている。結果論としてはそうだろう。

 だが、あの決議文に書かれた問題は結局何も解消されないまま、斎藤の再選後も、百条委の結論が出た今も残り続けている。不信任決議にはこうあった。

〈日本国憲法に則り県民の生命と財産を守ることを使命とする行政の長たる知事の職責を果たすためには、県民・県職員の模範として、法令遵守は当然のことながら、人として守るべき倫理・道徳や人権感覚に基づく道義的責任がより強く求められるが、「道義的責任が何かわからない」との知事の発言から、その資質を欠いていると言わざるを得ない〉