ロシアのウクライナ侵攻以降、「客観的に考えることは知的な意味で危険なこととなった」というのは、西ヨーロッパにおいて自由な言論活動や公での議論が著しく困難になった状況を指している。

 特にフランスにおいては、メディアや知識人の間で「ロシアを批判してウクライナを支持することが絶対的に正しい」という風潮が強まり、それ以外の視点を提示することができなくなってしまった。

 その結果、この戦争が起きた背景や、アメリカやNATOの責任を議論することもタブーになってしまった。国際政治について客観的に分析しようにも、直ぐに「親ロシア」のレッテルを貼られてしまうため、自由な発言ができなくなり、8カ月間も沈黙せざるを得なかったというのである。

 また、「日本の保護がなければ書けなかった」というのは、日本ではフランスや西ヨーロッパほど言論の自由が制限されていないということである。日本でもロシア・ウクライナ戦争は連日大きく報道され、政府もウクライナを支持しているが、フランスほど一方的な言論空間にはならなかった。そのため、日本での講演やインタビューで自身の考えを自由に発表できたのだという。

自由主義・民主主義の押し付けが世界を分裂させた

 このようにトッドは、西洋の言論空間がいかにロシア・ウクライナ戦争によって硬直的なものになってしまったか、そして西ヨーロッパの知的環境がいかに異論を許さないものに変わってしまったかを指摘している。そして、西洋がこれまで自由主義や民主主義といった普遍的価値を他国に押し付けてきたことが、むしろ世界の分裂を引き起こしたのだと批判している。

 その結果、中国だけでなく、インド、イラン、サウジアラビア、そしてアフリカの国々も、結局はロシア的な「国民国家の主権」に向かうようになってしまった。西洋は、今回、ロシアに制裁を科すことで、世界の多くの国々から拒絶されている自分たちの姿にようやく気がついたのである。
これを象徴的するのが、本書は21カ国語に翻訳されているにもかかわらず、英語版はまだ出版されていないという事実である。

 トッドはインタビュー記事の中で、英語版が未だに出版されていないことを「非常に興味深く思う」と同時に、「人生最大の知的成功と考えている」と語っている。つまり、本書の内容が英語圏のアングロ・アメリカにとって受け入れがたい「不都合な真実」であるため、寛容さを失った「帝国」によって禁書扱いにされたのだという。