これまで、たくさんのことを病気のためにあきらめてきました。でも、経済的な理由によってもっとあきらめなければならないというのは、必死に見出している生きる術すら奪うこととなり、悲しみだけでなく怖さすら感じます。保険制度はもちろんのこと、企業の就労制度や家族や友人などたくさんの人に助けられ、支えられているのはわかっていますし、申し訳ないなと常に感じています。でも、なりたくてなった病気じゃない。ただでさえ何のために生きているのか、この先どうやって生きていくのかという不安を取り除けないまま、前向きに生きていこうと努力している患者もいるのです。
これからお金の負担がさらに増えるとなると、旅行や趣味などの楽しみだけでなく、家族のために使うお金も、食費や教育、光熱費といった生活の基礎を切り詰めざるを得ず、耐えるだけが目的の人生になってしまいますし、大切な人の人生をも狂わせる可能性があります。友人や社会から遠ざかる孤立の問題も出てくるでしょうし、治療自体を諦めるという命の危険につながる本末転倒なことにもなりえます。
自身が病気でなくても、親などの家族が病気になることで当事者になるケースもあります。僕自身のことだけでなく、同じように病気とともに生きる仲間のことを考えても、本当につらく切ないです。今回の改正の取り下げを強く願います。
年収400万円で医療費は320万円、高額療養費制度のお陰で62万円の負担で済んだが
福地周子さん/卵巣がん(橿日会かしい心療クリニック勤務。公認心理師、臨床心理士)
私は35歳の時に卵巣嚢腫と診断されました。激痛で婦人科を受診して、2週間の安静で改善。2年後に再び激痛に襲われ、同じクリニックで「家に帰せません」と言われてそのまま入院、夜中に左卵巣が破裂しました。朝になってから大きな病院に救急搬送されて、緊急の腹腔鏡手術で卵巣摘出したところ、顆粒膜細胞腫という卵巣がんの一種だったことがわかりました。卵巣が破裂したことで腹腔内にがん細胞が散らばったことの意味が、当時はまだわかりませんでした。
がん情報サービスに掲載されているがん統計によると、2020年に卵巣がんと診断されたのは1万2738例。5年相対生存率は60%で、そのうちの85.6%はさらに5年後も生存しています*4。顆粒膜細胞腫は希少がんと言われ、卵巣がんの中でも数が少なく、20~30%の症例で再発し、10年以上経ってから再発することも報告されています。
私の場合も42歳でがんが再発し、右卵巣、子宮などを摘出した後も再発を繰り返しています。48歳の時には再び開腹手術して腫瘍を小さくした上で、抗がん剤治療を6クール受けました。その後は分子標的薬を内服する維持療法を続けましたが、がんが活発になって腹水が溜まってきたので、50歳の時に抗がん剤治療を再開することに。しかし、途中で抗がん剤にアナフィラキシーを起こしたため中断になり、分子標的薬による維持療法に切り替えました。次に抗がん剤の種類を変えて治療を始めたところ、今度は薬剤性肺炎になって1カ月入院し、退院後も在宅酸素療法が必要な生活になりました。下腹部には3cmほどの腫瘤がありますが、幸いにもがんそのものは安定しています。
*4 がん情報サービス「がん統計」より