「天井のない監獄」
1967年には第3次中東戦争が勃発しました。エジプトとシリア、ヨルダン、イラクのアラブ諸国とイスラエルが激しい砲火を交わしたのです。
しかし、米国の支援を受けて近代兵器を整えていたイスラエルは一方的に勝利。その結果、ヨルダン川西岸やシナイ半島(1982年にエジプトに返還)、ゴラン高原とともにガザを制圧し、占領地としました。
この結果、さらに多くのパレスチナ人が難民となりました。イスラエルはそれ以降、ずっとガザの占領を続けています。
それだけではありません。イスラエルは占領地内に国際法に違反するユダヤ人の入植地を次々とつくり、支配地域を広げました。1993年にイスラエルとパレスチナの2国家共存を目指す「オスロ合意」が結ばれ、ガザに「暫定自治」が及んでもこの状況は変わっていません。

イスラエルは2005年、ガザの入植地や軍事拠点を撤去しましたが、ガザへの人や物資の出入りについては、それまで以上に厳しく制限し、他の地域と完全に切り離しました。
2006年のパレスチナ自治評議会(国会)選挙でハマスが圧勝し、ガザの統治を始めました。すると、イスラエルはハマスとの対話を拒否し、食料や医薬品の搬入まで規制しました。ガザの住民は生殺与奪権をイスラエルに握られ、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)の支援が生命線となりました。「天井のない監獄」と言われるのはこのためです。
こうした中、2023年10月7日、ハマスはイスラエル側に越境攻撃し、約1200人を殺害し、200人以上を人質に取りました。とても容認できる行動ではありませんが、その火種は80年近く前にまかれていたとも言えます。