近藤上書における鎖国否定と東アジア進出論

 次に近藤は、日本の国体は「攘夷鎖港」ではなく、古来広く海外と往来しており、鎖国は徳川将軍家によってやむを得ず祖法化されたものである。家康がもう少し長生きしていれば、「今、日旭旗を五大州ニ翻し、今の英国などなども来貢セしむる事必定也」と言い切る。つまり、日本は世界を征服しており、現在の大英帝国も日本の朝貢国となっていたことは間違いないとまで、極論したのだ。

徳川家康像

 また、鎖国に踏み切ったのは、キリスト教の布教によって人心が擾乱させられ、不測の事態が生じることを恐れたためであると説明する。理路整然とした、論旨の展開である。そして、今の日本は、世界と通商して国を富ませ、海軍を発展させて四夷を征服するには、まさに適した国土である。それは、中国・インドの近くにあり、航海するには好都合の立地であるからだ。また、薩摩藩には山川のような良港が存在し、世界を引き受けて貿易するには殊に抜群であると説く。

 これらの点は、欧米人が垂涎の思いでいるところなので、放っておく手はない。よって、まずは朝鮮に侵出し、その後、清の諸港に商館を置き、兵乱で疲弊している人民を助ければ、10年以内に清は日本に説き伏せられ、西洋征服への同盟に同意するであろうと、その見通しを論じる。

近藤上書に見る世界制覇計画

 近藤は続けて、清を従えて黒龍江を越え、ロシアに至って皇帝と盟約し、ロシアの産物を黒龍江まで運び、日本からも船で黒龍江までさかのぼり、そこで貿易を行なう。そして、上等な鉄を輸入して、大小の銃を製造すべきであると強調する。

 また、長崎のオランダ人、アメリカ人から、西欧諸国とロシアの大戦争が10年を経ずして勃発すると聞いた。そして、海軍を十分に興隆できれば、ロシアが敗れた場合、和議の仲介をする。西欧が敗れた場合は、その虚に乗じてジャワ、ルソン、スマトラを電撃的に侵略し、領土を拡張すべきであると小松に説いている。

 近藤のこうした言説は、まさに、海外侵略論以外の何物でもないのだ。それにしても、壮大なアジア征服の構想で驚きを禁じ得ない。