近藤が主張する東アジア的規模での未来攘夷論
さらに近藤は、朝鮮はフランスの侵出を受け、ロシアに同盟をもちかけていると指摘する。もちろん、そのような事実はなかったが、先鞭をつけられては口惜しい限りであるとして、来春には艦隊を編成し、朝鮮に侵攻を開始すべきであると、一刻も早いその実現を薩摩藩に期待しているのだ。
これはまさに、征韓論の実現である。そして、その先のロシアとの衝突は、その後の歴史において、時間の問題であった。このように、近藤の主張は、天皇の権威向上を背景に、通商条約容認とともに富国強兵・海軍振興に名を借りた海外侵略論である。
近藤の主張は、まずは朝鮮、その後の清の征服によって、東アジアに覇を唱える華夷帝国の形成にあった。しかも、その先にはロシアとの対決も視野に入れており、東アジア的規模での未来攘夷論であるのだ。
近藤上書の異様なまでの先見性
近藤は理路整然と、日本至上主義に基づく我が国の優越性を説き、積極的開国論を展開した。その上で、朝鮮・清から始めて東アジア全体に日本の覇権を拡げる構想を打ち出し、その手始めに征韓論をぶち上げ、ロシアとの対決も視野に入れている。
近藤の言説は、未来攘夷そのものであり、まさに近代日本が、その後にたどった経過に酷似している。近藤、まさに恐るべしであろう。
この上書が島津久光の手元に保管されている事実は、薩摩藩・久光が近藤に一目置いた結果である。このことから、近藤が薩摩藩士として仕官する上で、大いに役立ったであろうことは想像に難くない。
次回は、近藤長次郎が「小松・木戸覚書」(いわゆる薩長同盟)に向けた活動を始めるに至る長州藩の政治的動向について、詳しくその経緯を追うとともに、坂本龍馬によって設置されたとする亀山社中の実相に迫りたい。