「再生の道」は政党というより政治塾に近い
「再生の道」は「政党」を名乗るが、政治塾などに近い、石丸氏を核とした政治家、候補者の緩やかな結びつきによる「当選のプラットフォーム」と捉えることができるだろう。
従来の政党よりも候補者へのコミットメントは小さいが、候補者に対する拘束も乏しいことになる。これは既存政党に対する不満を軽減し、候補者本人の自主性と自助努力、自己責任を強調するが、実は国政と異なる文脈を有することも少なくない地方政治においては乱暴だが適合的かもしれない。
しかも、政策や理念を掲げないことから、細かな調整コストが発生しないことも重要だ。一見、従来、地方政治において国政政党が担ってきた役割が後景に退いているが、自民党や公明党、共産党などを除くと、案外、政党によって、また地方によってまちまちであることから、実質はそれほど変わらないともいえそうだ。
それでいて、一般的なビジネスパーソンの立候補コストを極力引き下げようとしている点も目を引く。それは石丸氏の主要な支持層と重なっている。
「即戦力」「仕事ができる人」「転職」「就活と同じ」といったビジネスと親和性が高いフレーズが多用され、選考プロセスも就活や転職活動と類似することが強調され、都議のあとのキャリア、特に民間に戻る場合についての支援を打ち出すことで安心感を醸し出していると考えられる。
そしてまだ都議会選挙まで半年近くの期間があるが、話題が途切れないゲーム的な工夫が織り込まれている。リアリティ・ショーに馴染んだ世代なら、ついつい関心が向くこと必至ではないか。
そうはいっても政治や選挙には独自の文脈もあることから、現職や首長、副首長の「優遇」は極めて現実的だ。
国政政党との重複所属などが現実に機能するかどうかは、むしろ先方の国政政党の意向次第だろう。おそらく重複所属の提案に「乗れる政党」と「乗れない政党」に分かれるはずだ。
「乗れる政党」は地方政治と国政の結びつき、勢力、既存支持基盤が弱い政党で、換言すれば「乗れない政党」はそれらが強い政党ではないか。例えば自民党や公明党、共産党は石丸提案に賛同し難く、地方議会での規模は限定的だがおそらくは立憲民主党も難しいはずだ。こうした政党は「再生の道」への参加を許容しないだろう。
それに対して、特に都議会において存在感が小さい維新や国民民主党、都民ファーストなどにおいては考慮の余地があるだろうし、何なら現職や候補者自ら積極的に石丸新党への参加の意欲を見せるかもしれない。
すでに維新は色気を示し、国民民主党も慎重ながら名指しを受けたこともあり関心を示しているとされるが、本格的な動きが生じるのであれば石丸氏の構想をいっそう加速させるだろう。
◎石丸伸二氏の新党 維新・吉村氏が連携意欲「価値観共有している」 | 毎日新聞
◎国民・玉木氏、石丸氏新党との連携に慎重姿勢 「全体像見定めたい」 | 毎日新聞
東京という首都の選挙の行方は直後の参院選や、その後、または同時に行われる総選挙などにも大きな影響を及ぼす可能性があるし、当然石丸氏も様々な展開を視野に入れているはずだ。
しかし同時に難しい挑戦であることも明らかだ。過去には大前研一氏や勝谷誠彦氏、別のルートではオウム真理教なども首長や国政進出、地方政治進出を試みたことがあるが阻まれている。
私見では石丸氏の今回の提案は大前氏の挑戦と重なって見えるが、90年代の社会、政治の閉塞感は今ほどではなく、そして地方政治における新しい挑戦を評価する社会的機運も乏しかったようにも思われる。
令和の現在ではどのように受け止められるだろうか。また仮に石丸氏の構想どおりに事が運んだとして、どのような帰結をもたらすのだろうか。予測はそれほど簡単ではない。そもそも候補者が多数現れるのかも現時点では不確実だからだ。
もう一点、気になるのは、今回の構想をどのように想起し、練り上げたのかという点である。そこに重要なヒントがありそうな気もする。提示されれば、時間をかければより丁寧にその意味を読み解くことができるはずだが、いつ、どのようにして、こうした構想に至ったのかも気になるところだ。
今回の立候補には都知事選で集めたおよそ2億円を充てるという旨が報じられている。言うまでもなく相当に無謀な試みである。まずはそのリスクテイキングと日本政界に大きな刺激を与えるであろう石丸氏の挑戦に敬意を表するとともに、たとえ石丸氏の思惑通りだとしても行く末のみならず動向を注視せざるをえない。
以上、本稿は筆者の取り急ぎのファーストインプレッションだが、本稿公開直前に石丸氏と話す機会に恵まれた。それらも踏まえながら、また遠くないうちに続きを記すことにしたい。