ダートコースのG1レース「フェブラリーステークス」誕生!
東京競馬場、中山競馬場、京都競馬場、阪神競馬場など、JRAが主催する競馬場に行くとわかりますが、ダートコースでのレースがその日のメインレースとなることはごくわずかしかありませんでしたし、かつてダートのレースはG1レースとは縁遠い存在でした。
テレビ中継でもメインレースでダートコースが映ることは少なく、競馬ファン以外にはあまりなじみのないダートのレース。地方競馬などの常連さんたちにはなじみがあっても中央競馬のメインレースではダートコースが使われることが少なく、ましてやG1レースにダートコースが使用されることなどありませんでした。
それが1997年にダートコース初のG1レース「フェブラリーステークス」が誕生。このレースの創設により、ダート競馬が身近なものになっていきます。
このレースが創設されるまでのG1日程は、有馬記念終了後の翌年4月初旬の桜花賞まで待たなければならず(現在3月開催のG1高松宮記念は2000年から3月開催に、同じく大阪杯は2017年にG1昇格)、G1レースが2月に誕生したのは競馬ファンにとってうれしいニュースでした。
フェブラリーステークスの舞台となるダートコースでのレースのおもしろさを劇的に感じさせてくれた功労馬がいます。米国生まれのクロフネです。同馬は2000年~2001年の2年間に全10レースに出走し6勝、2着1回、3着2回、5着1回という生涯成績でした。
満2歳時での初戦はクビ差の2着、2戦目3戦目はレコード勝ちで頭角を現わしたものの、4戦目は3着と期待を裏切りますが、満3歳になった5戦目の毎日杯(G3)で初の重賞勝利、ついでG1のNHKマイルカップでも勝利します。米国から来た黒船がついに日本競馬を席巻かと期待されたダービーでは5着に敗れ、4か月後の神戸新聞杯(G2)でも3着、威光は輝きを失いつつありました。
馬券的には悩まされる一頭ではありましたが、当時のクロフネは強さと脆さを併せ持った愛すべき馬でもあったのです(大相撲だと柏戸かな。古すぎますかね)。