20世紀の鉄は錆び、セメントは崩れる
17世紀、アクロポリスはオスマン帝国(トルコ)の支配下にあった。地中海の覇権をめぐって争うヴェネツィア軍が大砲をパルテノン神殿に撃ち込み、モスクに改造され弾薬庫があった神殿は、大爆発を起こし吹っ飛んだ。円柱はかなりの数が倒壊、辺り一面に大理石のかけらが散乱したという。
現在のような姿に戻ったのは、20世紀の初頭。廃墟から素材を拾い集めて積み上げたのだが、復元したピースの位置がかなり間違っていた。
また、古代ギリシャ人は、いかに美しく見えるかということをトコトン極めた。実は、神殿には直線がない。床は中央に向かって盛り上がり、円柱はエンタシスと呼ばれる微妙なふくらみを持つ。柱全体も内側に傾いている。このように設計しないと、錯覚から人間の目は凹んだり歪んだように見え、美しく感じないのだ。
その上、円柱は1本の石材でなく、ダルマ落としの駒のようにドラム状の大理石を重ねただけである。中心軸を削って四角い木の箱(ダボ)を置き、そこに筒状の木片を挿している。地震が多いギリシャでは、これが倒れるのを防ぐ免震装置でもあった。
全てのピースがジクソーパズルと同じで、決まった1点以外には組み立てようがないパルテノン神殿。コンピューターで割り出した正確なポジションに戻す“復原”は、新しい神殿を造ったほうがずっと手っ取り早いという、遥かな道のりだ。
さらに梁のブロックをつなぐ創建時の「古代の鉄」は問題ないのに、20世紀に使った鉄のかすがい(H型)が錆びて膨張し、大理石がヒビ割れ始めた。ハンマーで鑿を叩き少しずつ鉄を削っているが、1日に1個外せるかどうか……。
大理石の失われた部分を、現代セメントで補ったのも杜撰な仕事だった。円柱からコンクリートがボロボロと崩れている。この継ぎ足した箇所もとり除いて、昔通りにペンテリコン山から切り出した大理石を寸分たがわぬ形にくりぬき、組み合わせなければいけない。100年以上前の修復には、その時代ゆえの“限界”があったのだ。