大谷 達也:自動車ライター
クルマに対する欲望
幕張メッセで開幕した東京オートサロン(以下、オートサロン)に出かけたら、まだ一般特別公開日だというのに、場所によっては身動きがとれないほどの大混雑で度肝を抜かれた。
ちなみに昨年は3日間の会期で23万73人が来場したとのこと。これは、2023年に東京ビッグサイトで開催されたジャパンモビリティショー(かつての東京モーターショー)の111万2000人を下回るものだが、こちらの会期は11日間。それぞれ1日あたりの平均来場者数を計算するとオートサロンの7万6691人に対してジャパンモビリティショーは10万1090人でやはりジャパンモビリティショーがオートサロンを凌ぐけれど、それでも肌感覚でいうとオートサロンのほうがはるかに混雑が激しく、会場の熱気もオートサロンのほうが格段に上だった。
なぜ、オートサロンはこれほど人気なのだろうか?
1983年に東京エキサイティングカーショーの名で初開催されたオートサロンは、もともとチューニングカー雑誌「OPTION」の初代編集長が立ち上げたとあって、かつてはチューニングカーやドレスアップカーのためのイベントという印象が強かった。そのせいか、以前は会場周辺に暴走族や改造車両が集結して社会問題化していたが、2010年代半ばからは地元警察などが取り締まりを強化した結果、最近ではまったく目にしなくなった。
これに先立ち、1990年代後半からはチューニングショップやドレスアップパーツメーカーだけでなく自動車メーカーも徐々に出展するようになり、現在では国内の乗用車メーカー8社がすべてブースを構えているだけでなく、フォルクスワーゲン、BMW、アルピーヌ、ロータス、BYD、ヒョンデなどの輸入車メーカーも出展。引き続き参加しているチューニングショップ、ドレスアップパーツメーカー、そしてタイヤメーカーなどを含めると出展社の数は300社を優に超えるという。
それにしても、世界中のモーターショーが続々と規模縮小や開始休止に追い込まれるなか、オートサロンの盛況具合は異例といっていいだろう。
いや、オートサロンと同じようにいまも成長を続けている自動車イベントは海外にもあった。ひとつはイギリスのグッドウッド・フェスティバル・オブ・スピード、もうひとつはアメリカのモントレー・カー・ウィークである。実は、これら3つのイベントにはいくつかの共通点がある。ひとつは、スポーツモデルやハイパフォーマンスモデルを主役に添えていること。そしてもうひとつは、そうしたクルマが実際に走行するシーンを見られることである。
これは7、8年前から「世界中のモーターショーは死に絶える運命にある」と予感していた私にとっても、非常に納得しやすい傾向といえる。
なぜ、私は「世界中のモーターショーは死に絶える運命にある」と予感したのか。
およそ7、8年前から自動車産業界ではカーボンニュートラル、自動運転技術、カーシェアリングなどが急速に注目されるようになった。将来のことを考えればどれも重要なテーマばかりだが、そうした話題が、これまでモーターショーを楽しみにしていた層に歓迎されるかといえば、必ずしもそうではないと私は捉えていた。
かつてモーターショーに熱心に訪れていた人々は、自動車の速さや華やかさに憧れ、その未来に明るい希望を持っていた人々だろう。そうした価値は主に官能的なものであり、主観的なものだ。
いっぽうで、カーボンニュートラル、自動運転技術、カーシェアリングといった話題は知的で理性的ではあるものの、官能性とはほど遠いものばかり。もともとクルマの官能性を表現する場だったモーターショーのフォーマットに、そうした知的で理性的なコンテンツを押し込んでも魅力的なものにはならないだろうというのが私の推測だった。そして、私の悲しい予感は残念ながら的中し、かつて世界中の自動車ファンを楽しませたフランクフルトショー、ジュネーブショー、パリサロン、デトロイトショー、東京モーターショーなどはいずれも失速するか形態の変更を余儀なくされ、現在も従来と同じフォーマットで開催されているのはパリサロンのみという、モーターショー好きには暗黒の時代が訪れたのである。
そして、そうしたかつてのモーターショー好きの新たな受け皿となったのがグッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードやモントレー・カー・ウィークであり、日本のオートサロンと推察されるのだ。つまり、彼らは「クルマに対する欲望」に素直だったのである。