藤原実資が明け方に見た「恥ずかしい夢」の内容
『光る君へ』の解説を行うに当たって、改めてその意義の大きさを知ったのが藤原実資(さねすけ)の日記『小右記』だ。
実資は21歳から84歳まで欠かさず日記『小右記』を書き続けたというからすさまじい。ドラマでは“お笑い怪人”とも称されるロバート秋山が演じて話題を呼んだが、本人の筆マメさもまた「怪人級」だった。
『小右記』の熱心な読者の一人が、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した公家・歌人の藤原定家である。定家は『小右記』を読み込みすぎて、夢の中で実資と会ったとか。定家が生まれたのは、実資の死後100年以上が経ってからのことだ。そのため実際に対面することはかなわなかったが、少しでも近づきたいと考えたのだろう。自身も18歳から74歳までの56年にわたる克明な日記『明月記』を残している。
そんなふうに後世にも影響を及ぼした実資は、儀式や政務に精通した有能な官僚であり、権力におもねることなく、道長や息子の頼通にも頼りにされた。最終回では、道長がこの世を去り、道長を支えた四納言の一人、藤原行成(ゆきなり)も同日に亡くなると、それを記録しながら実資が静かに涙する姿が印象的だった。
ただ『小右記』を読むと「何もそんなことまで記録しなくても……」という記述にぶちあたる。
長元2(1029)年9月24日の日記には「今暁、夢想す」とあり、今朝に見た夢のことが書かれているのだが、「清涼殿の東廂に、関白、下官と共に烏帽せずして、懐抱して臥す間」とあるように、清涼殿の東廂に、関白の藤原頼通と実資がともに、烏帽子を着けずに抱き合って寝転がっていた……というのだ。
なかなかインパクトの強い夢だが、実資はさらにこんなことまで書いている。
「余の玉茎、木のごとし。着す所の白綿の衣、太だ凡なり」
(私の玉茎は木のようであった。着ていた白綿の衣は、はなはだ凡卑であった)
恥ずかしい……そう思っているうちに目が覚めたのだという。さらに「若しくは大慶有るべきか」、つまり、「もしかしたら、私に大慶が有るのであろうか」と続けている。どうも、「当時の権力者である頼通に抱かれるということは、縁起が良い」と実資は捉えていたようだ。
このとき実資は73歳、頼通は38歳。出世欲も含めてまだまだ衰えず、というところが頼もしい。永承元(1046)年に亡くなるまで、実資は90歳という長寿を全うしている。