恋多き女性・賢子が子どもを産んだ「意外な相手」

「わたし、光る女君となって生きようかしら」

 ドラマでそんなことを口走ったのは、まひろ(紫式部)の娘・賢子(かたこ)である。

 最終回では、宮中で藤原道長の次男・藤原頼宗(よりむね)と逢瀬を楽しむ大胆な姿が描かれた。ドラマでは、賢子は道長とまひろの間に生まれた子ということになっているから、2人は実は異母兄妹にあたる。はからずも禁断の恋に走ることとなった。

 このときに頼宗のセリフとして「おまえ、定頼(さだより)とも朝任(あさとう)とも、歌を交わしているそうではないか」と言っているが、実際の賢子も恋多き女だった。藤原道長の次男の頼宗だけではなく、藤原公任の長男である定頼や、大納言・源時中(ときなか)の七男である朝任らとも、実際に交際していた。

 つまり、最終回での賢子のシーンは、短いながらもインパクトが強く、かつ自然な会話の流れで、史実に沿った賢子の恋愛遍歴を示唆している。秀逸なシナリオだったように思う。

 ただ、ここで触れられなかったのが、賢子の結婚相手である。賢子は藤原兼隆(かねたか)と結婚し、万寿2(1025)年に娘を産んだとされている。もっとも身分の差から、いわゆる「結婚」とは呼べないものだったとする見解もあるが、問題はそこではない。この藤原兼隆は道長の兄・道兼の息子なのだ。

『光る君へ』では、初回から「まひろの母が道兼に殺害される」というショッキングな展開で視聴者を惹きつけた。まひろと道長は幼い頃に出会い再会を約束するも、まひろはその日に母を殺されて会うことができなかった。やがて2人は再会を果たすも、恋した相手の兄が母の敵だとまひろは知ることになる……。

 そんなストーリー展開が序盤における一つの山場となったが、その頃から筆者は「これ娘が親の敵の息子と結婚することになるけど、どうなるんだろう」と気になっていた。結局、最後までそこには触れられることはなかったが、それでよかったのではないかと思う。あまりにも物語が複雑になりすぎてしまうからだ。

 結局、兼隆とは別れたようで、賢子は長暦元(1037)年ごろに高階成章(たかしなのなりあき)と再婚を果たしている。成章はかつて、太宰府の次官の一人、太宰大弐(だざいだいに)の役職も務めた公卿である。

 最終回では、賢子が敦良親王(あつながしんのう)の第1皇子にあたる親仁親王(ちかひとしんのう)と遊ぶ場面があったが、亡き母の嬉子(よしこ・道長の六女)に代わり、実際に賢子が乳母の1人に選ばれている。親仁親王が即位して後冷泉天皇となったことで、賢子には三位典侍(さんみのすけ)の官位が与えられることとなった。

 賢子は、夫のかつての役職である「大弐」と、賢子の位階である「三位」を組み合わせて、大弐三位(だいにのさんみ)と呼ばれるようになる。この呼び名に、賢子の激動の生涯が表れているように思う。

 おそらく数々の採用されなかったアナザーストーリーが、脚本家の頭の中にはあったことだろう。『光る君へ』に触れていたい視聴者の一人としては、番外編などでもやってみてほしいものだ。