神をも論理的推測で攻めるユダヤ人
神との論争にエイブラハムはユダヤ式交渉術で勝つのであるが、言いくるめられた神はすごすごと尻尾を巻いて引き下がった訳ではない。その後、神はソドムとゴモラの街を炎で焼き尽くして、その全住民を抹殺されるのである。そして助けられたのは、ロトとその妻、その娘達だけであった。
その妻も「決して後ろを振り向いてはいけない」と言われていたのに振り向いたために、塩の柱になってしまった。
さて、日本の皆さんは、この物語に記されたユダヤ式交渉術について、それはいったいどういうものだと思われるだろうか。
日本の方は「ああ、それなら俺達もよくやっている交渉術だ。最初にバーンと大きく出て、ちょっとずつ譲歩していくというやり方だ。似たようなものだ」とおっしゃるかもしれない。
だが、まったくそうではない。バーンと大きく打って出て、少しずつ譲歩するやり方は、相手の感情に訴える方法である。最初に相手をびっくりさせて、そして少しずつ妥協していく姿を見せることによって、相手の感情を自分に都合が良い方向に持っていくのだろう。
しかし、ユダヤ式交渉術はそれとはまったく違う。ユダヤ式交渉術は感情ではなく、理屈を使いこなすのだ。
この場合でいえば、「神は罪なき善人を殺すのか?」という論理的な問いを神に投げかける。
そう言われると、神はまさか「善人をも一緒に殺してしまおう」とはお答えにならないだろう。そのように論理的推測をして攻めていくのである。