指定席の「売り逃し対策」で改良を進めてきた発券システム

 現在のシステムはコンピューターの処理速度が向上したことで、利用者を待たせることなくスピーディーかつスムーズに予約・発券できるようになっている。今回の「のぞみ」指定席削減の意図についても、そうした新幹線予約システムを司るコンピューターの進化の歴史をたどることで見えてくる。

 1964年10月まで時計の針を巻き戻して、東海道新幹線における指定席・自由席は、どのような状況だったのかを確認しておきたい。

 東海道新幹線の開業時は「ひかり」と「こだま」の2タイプが運行していた。どちらも12両編成で、当初は自由席がなく指定席のみだった。その理由は「のぞみ」と同様にビジネス利用を想定し、行楽利用は東京五輪を目的とする人たちだけと考えていたからだ。

 ビジネス利用や東京五輪を目的とする行楽利用は、その旅程が明確なのでスケジュールが確定していることが多い。だから指定席で十分に役割を果たせた。しかも、旧国鉄は東京五輪の閉幕後に新幹線の行楽需要は減少し、ビジネス利用に特化すると予想していた。だから、ますます自由席の需要は減少すると読んでいた。

 ところが、その予想はいい意味で裏切られる。東京五輪の閉幕後も新幹線需要はビジネス・行楽両面で堅調を維持した。そのため、開業からわずか2カ月後の12月に国鉄は方針を変更。一部の「こだま」に6両の自由席車が導入された。

 一部の列車とはいえ、一編成の半分を自由席化するという大胆な決断には驚くが、国鉄がそこまで大量の自由席を導入するという決断をした理由は何だったのか。前述したように、自由席と比べて指定席は料金が割高になるため利用者から忌避されたと考えるかもしれないが、実際はそういった経緯で自由席が導入されたわけではない。

 国鉄では、指定席券類を発券するために「マルス」と呼ばれるコンピューター端末の操作を必要とした。マルスは駅係員が操作することで指定席や特急券など複雑なきっぷでも容易に発券できる機械で、1960年に開発されたマルスは「マルス1」と命名された。

 マルス1の導入時、すでに東海道新幹線が東京五輪までに開業することが決まっていたので、指定席や特急券の発券業務が急増することは事前から予測されていた。そのため、国鉄は性能を向上させた新型マルスの開発も続けていた。

 ところが、新型マルスは新幹線の開業までに間に合わなかった。旧型のマルス1は在来線を想定したシステムだったので、1列4席でシステムが構築されており、新幹線の1列5座席に対応していなかった。そのため、新幹線開業年の指定席類の発券業務は駅係員が乗車券センターに電話を入れ、担当者が該当する台帳を抜き取って空席を照会し、その後に必要事項を記入するという手間が発生した。

「エドモンソン券」と呼ばれる、今では目にすることがなくなった厚紙のきっぷに駅係員が乗車日や座席番号を手書きで記入するので、一枚のきっぷを発券するのに30分以上を要することも珍しくなかった。

 そうした黎明期にありがちな混乱も手伝って、新幹線のきっぷを発券するカウンターには利用者が長蛇の列をつくる光景が常態化し、多くの新幹線が空席の目立つ状態で発車していたのである。

 利用者にとっては時間通りの列車に乗れないことはスケジュールが狂うことを意味し、大きなストレスとなる。他方で、国鉄も“売り逃し”による経済的な損失を発生させていた。こうした状況を改善するべく考案されたのが自由席の導入だった。