「言論の自由市場」を信じるしかない
兵庫県知事選挙における「ネットの勝利」を受けて、ネット規制を求める様々な反応が出てきています。
朝日新聞は「選挙と立花氏 言動を看過できない」と題する社説で「誹謗中傷や事実と異なる情報の流通をどう防ぐか。選挙でもネットの力が急速に増しており、それに即した規範作りは喫緊の課題だ」(11月23日)と論じ、毎日新聞は「広告収入など、ネットの伸長で選挙が稼げる『コンテンツ』になっている…ネット選挙のあり方について議論が必要だ」とする政治学者の意見を紹介(11月23日)しています。
ネットで発信を続ける菅野完氏も「視聴者への直接課金のある媒体、あるいは広告料等の間接収入のある媒体での選挙運動禁止の法整備すればいい。YouTubeも広告収入もらってない垢は選挙期間中なに流してもオッケー。広告収入アカウントはダメ。」(11月23日Xポスト)と、印象的な投稿が視聴回数を通じて収益につながる構図を踏まえ、公職選挙法の見直しを通じた規制の導入を提言しています。
しかし、私は、規制を強化する方向よりも、既存メディアとネットメディアとが切磋琢磨し、互いにファクトチェックに取り組むことこそ真の解決の道であると考えています。
今回の問題が深刻化した背景には、既存メディアが元県民局長に服務規律違反があったことを封印するとともに選挙報道に過度に抑制的になったことがあったのですから、その原因となっている放送法4条の規制を撤廃するのです。
米国では、賛否両論ある問題で双方を公平に扱うことを放送局に求める「フェアネス・ドクトリン(公平原則)」が1987年に撤廃され、日本でも、2018年に安倍晋三総理大臣が施政方針演説で「通信と放送が融合する中で、国民の共有財産である電波の有効利用に向けて、大胆な改革を進めてまいります」と表明し放送法4条の撤廃に動きましたが、半年ほどで立ち消えとなった経緯があります。
今回の問題を奇貨として、既存メディアにもっと自由な報道を認め、テレビ放送とネット配信とが互いにファクトチェックをし合い切磋琢磨する、そんな言論空間を目指したいと考えます。
多様なメディアの切磋琢磨を通じて“どちらの言い分が正しいか”を有権者が判断できるようになる。そうした「言論の自由市場」を私たちは信じるしかないのです。
もちろん、情報の発信側にも、そして受信側にも、そうした情報に関するリテラシーを高めていく不断の努力が求められることは、言うまでもありません。