(永井 義男:作家・歴史評論家)
江戸の常識は現代の非常識? 江戸時代の庶民の生活や文化、春画や吉原などの性風俗まで豊富な知識をもつ作家・永井義男氏による、江戸の下半身事情を紹介する連載です。はたして江戸の男女はおおらかだったのか、破廉恥だったのか、検証していきます。
看板娘目当ての客で賑わった水茶屋
図1は茶屋女、つまり茶屋の女中だが、いわゆる看板娘である。客のもとに茶を運ぶところのようだ。画中に浅草寺とあるので、浅草の浅草寺の境内にある茶屋であろう。
江戸の茶屋には、美人の看板娘を置いた店があった。看板娘を目当てに、客がやってきたからである。看板娘の中には実名とともに浮世絵に描かれ、有名になった者もいた。
茶屋では、茶代は1杯12文くらいが普通だが、人気の看板娘を置いたところは茶代とは別途に祝儀を気前よく払うのが当たり前だった。さもないと看板娘は口もきいてくれなかったという。
さて、多くの人は江戸の茶屋を、現代のカフェや喫茶店のようなものと理解しているようだ。けっして間違いではない。
いっぽうで、時代小説などを読んでいると「水茶屋」とあり、水茶屋と茶屋はどう違うのか、当惑したことがあるのではなかろうか。じつは、「茶屋」はかなりややこしい。ここで、整理しよう。
茶葉を売る店を、「葉茶屋」と言った。茶を飲んで一服できる店を、葉茶屋と区別して「水茶屋」と言った。
この水茶屋を略して、茶屋あるいは茶店と呼んだのである。そして、茶屋には多様な業態があった。