源倫子と紫式部の間でバトル勃発か
『紫式部日記』によると、倫子からは次のようなメッセージと共に「菊の着せ綿」が送られてきたのだという。
「これ、殿の上の、とりわきて。『いとよう老い拭ひ捨て給へ』と、のたまはせつる」
(これは、殿の奥様から格別に贈られてきたものです。「この綿で、うんとすっきり老化をお拭き取りなさいませ」とおっしゃっていました)
受け取った紫式部は、次のような歌を倫子に贈ろうとした。
「菊の露 わかゆばかりに 袖ふれて 花のあるじに 千代はゆづらむ」
(せっかくの菊の露、私ごときはほんの少し若返る程度に触れておいて、後は花の持ち主である奥様にみなお譲りします)
だが、この歌ができたときには「奥様はもうお戻りになられました」と言われたので、歌を贈るのをやめたと『紫式部日記』には描かれている。
この逸話の解釈は二つある。一つは「身分が低い私にこんな贈り物をしてもらうなんて、恐れ多い」という紫式部の謙虚さが表われているというもの。そしてもう一つが、紫式部は和歌を通じて、倫子にこんな嫌みを伝えようとしたのではないか、という分析である。
「菊の着せ綿による若返りが必要なのは、私ではなく倫子さまの方ですよ」
この当時、源倫子は45歳で紫式部の方が年下だったことから、二つ目の解釈も十分にあり得る。結局は歌を贈らなかったのも、立場を考えて「さすがにそこまで言うのはまずかろう」という紫式部の判断があったからではないだろうか。
ドラマでは、どちらの方向で演出がなされるのか楽しみである。