道長の“ウザ絡み”に怒って退出した倫子
また『紫式部日記』によると、倫子が紫式部に対抗意識を持っていたのではないか、と思わせる逸話も書かれている。
彰子が、敦成親王(あつひらしんのう)を出産したときのことだ。この敦成親王がのちの後一条天皇になるが、道長は誕生五十日を祝う『五十日(いか)』の宴の席で、ずいぶんと羽目をはずしてしまったらしい。その場にいた紫式部に「歌を詠め」と迫ったのだという。現代ならば“和歌ハラ”として問題になりそうだが、紫式部は次のように詠んだ。
「いかにいかが 数へやるべき八千歳(やちとせ)の あまり久しき君が御代をば」
(五十日の祝いを迎えた今日、どうすれば数え尽くすことができるでしょうか。これから八千歳あまりも続くに違いない、末永い若様の御世を)
道長はこの和歌を大層気にいったようで「実にうまい」と絶賛すると、紫式部の歌を二度口ずさんで、次の返歌を詠んでいる。
「あしたづの よはひしあれば君が代の 千歳の数も数へ取りてむ」
(葦の水辺にたたずむ鶴のように私も千年と長生きして、親王が千歳になるまで見守りたいものだ)
そんな歌を詠んだところ、道長は自分の和歌の出来栄えに大満足して、彰子に向かってこんなふうに話しかけたのだという。
「中宮様、聞きましたか? 大層うまく詠みましたぞ。父として私はなかなかのものだし、中宮様も私の娘として恥ずかしくないでしょう。母上(倫子のこと)も幸せと笑っておいでだ。良い夫を持ったと思っているように見えますな」
まさに酔っ払いのたわ言で、日記には「北の方(倫子)はうるさいと思ったのか、部屋を出て行かれてしまった」と書かかれてる。紫式部を褒める夫が面白くなかったのではないだろうか。道長はその後を追いかけて行ったのだという。
ドラマでは、道長の結婚後に、まひろと倫子はどんな関係になっていくのか。上記のシーンがどう描かれるのかと合わせて着目したい。