2024年は「不発弾」に関するニュースが続きました。10月には宮崎空港で旅客機の離陸直後に不発弾が爆発し、大惨事になりかねない事態が人々を驚かせました。師走の12月には、名古屋市東区で付近一帯を立ち入り禁止にして大掛かりな不発弾処理が行われました。来年2025年は戦後80年です。そんなにも長い年月を経た現在も不発弾は日本各地で頻繁に見つかっています。「終わらない戦後処理」と言われる不発弾。その現状をやさしく解説します。
騒然となった宮崎空港での爆発
宮崎空港で不発弾が爆発したのは2024年10月2日午前8時ごろのことです。誘導路の地中に埋まっていた爆弾が突然、爆発。路面は縦7メートル・横4メートルの楕円形状に深さ約1メートルの大きな穴が空きました。爆発地点は旅客機の翼が通過することがあり、爆発の2分前に通過した便もあったとされています。まさに間一髪でした。
爆発したのは第2次世界大戦中に米軍が投下した250キロ爆弾でした。日本の本土攻撃に際して広く使われていた爆弾で、長さ150センチ、直径36センチ。米軍が広範に使っていたもので、500ポンド爆弾とも呼ばれます。周囲40メートルの家屋を全壊させるという1トン爆弾の4分の1ですが、威力は小さくはありません。
なぜ、宮崎空港で不発弾が見つかったのでしょうか。
宮崎空港は旧海軍の赤江飛行場として建設され、神風特別攻撃隊の出撃地としても使われていました。そのため、敗戦直前の1945年には米軍が何度も飛行場やその周辺を激しく攻撃。毎日新聞によると、米軍側には250キロ爆弾を一度に300発も投下したとの記録も残っているそうです。それらの爆弾のうち、当時は爆発せず、地中に埋まってしまったものが戦後も回収されず、かなりの数の爆弾が不発弾となって地中で眠っていると思われます。
実際、宮崎空港で不発弾が見つかったのは、今回が初めてではありませんでした。1956年以降、少なくとも5個の不発弾が滑走路や空港敷地内で見つかっているのです。
宮崎空港での爆発事故を受け、国土交通省は過去に不発弾が見つかった空港で緊急の磁気調査に乗り出すことにしました。対象は仙台、松山、福岡、那覇の4空港。いずれも旧軍の飛行場だった場所です。
このうち福岡空港では帰省ラッシュを控えた12月17日から夜間の調査が始まりました。磁気探査装置を使って深さ2メートルまでの地中を対象に2025年春まで調べる予定です。
不発弾が見つかるのは、旧軍の基地や兵器工場周辺だけではありません。