ソ連時代に共産圏での独自決済網に失敗した過去
ところで、ロシアの事実上の前身国家であるソ連もまた、かつて米ドルとは異なる独自の決済網を整備しようと試みたことがある。ソ連はその影響下にあった東欧の諸国との間で、経済相互援助会議(コメコン)と呼ばれる経済協力機構を1949年に創設した。その際に、米ドルを排してコメコン諸国間の貿易決済を行おうとしたのである。
そうした決済は、ソ連の通貨であるルーブルと同様の金平価(金との交換比率)を定めた清算ルーブルと呼ばれる通貨で当初は行われていた。後に振替ルーブルがそれに代わるが、こうした決済網は1970年代には事実上、廃れてしまう。
その最大の理由は、皮肉なことに、振替ルーブルが米ドルと交換することができない通貨だったことにある。
コメコン諸国もまた、当時の西側諸国との間で貿易を行っており、その決済は米ドルやマルクなどのハードカレンシーで行われていた。振替ルーブルが米ドルやマルクと交換できる通貨ならコメコン諸国は余った清算ルーブルを用いて西側諸国との間でも決済ができたが、それが不可能だった。振替ルーブルは使い勝手が悪い通貨だったのだ。
振替ルーブルの最大の教訓は、脱ドル化を図るうえで、米ドルとの交換を制限することはむしろ逆効果になるということに尽きる。これは通貨の発行形態がデジタルだろうとアナログだろうと全く変わらない。ロシアがBRICS決済網を模索したところで米ドル決済網との接合は免れないし、もしそれを遮断するなら、取引の増加は見込みがたい。