一条天皇が自分の「ただならぬ病状」に気づいたワケ

 だが、運命は残酷だ。その直後に一条天皇は胸痛で顔をゆがめる。心配する彰子に「大事ない。いつものことだ」と声をかけるが、このときすでに一条天皇の死期は近づいていた。

 一条天皇の体調悪化については、道長も藤原行成も日記に記録している。道長は寛弘8(1011)年5月23日付の『御堂関白記』に「主上、日来、尋常に御座さず。今、頗る重く悩み給もう」と記し、行成は同年5月25日付の『権記』に「容体、能乱の気有り」と記した。

 ドラマでは、道長が易で占わせたところ、「崩御の卦が出ております」という結果が出てしまい、それを一条天皇がのぞいており、絶望するシーンが描かれた。

『権記』の記述では、易で天皇の崩御の卦を見ると、道長が清涼殿二間で、権僧正の慶円(けいえん)と共に泣いてしまう。一条天皇はその姿を御几帳の帷(とばり)のほころびから見てしまい、自分の病状のこと、そして道長が譲位に向けて動いていることを知り、より病状が重くなったという。

京都御所の「清涼殿」京都御所の「清涼殿」(写真:共同通信社)

 ドラマとはややプロセスは異なるものの、道長の行動によって一条天皇が死期を悟り、病を重くした可能性は高い。

 今回の放送では、一条天皇が譲位を決断したことを聞いて、彰子が「病でお気持ちが弱っておいでの帝を、父上が追いつめたのですね」と道長に迫る場面があった。道長が先走ったことで、一条天皇が弱気になったのは確かなようだ。