『権記』にも記された意外すぎる「彰子の怒り」

 ドラマでは、行成の「敦成様を東宮にと、仰せになりました」という報告を受けて、道長は喜びのあまりに息をのみ、しばし声も出なかった。そして「またしてもお前に救われたか。行成あっての私である」と、心からの感謝を述べた。

 道長は「よし、中宮様にご譲位と敦成様が東宮となること、お伝えして参る」と言って、彰子の元に急ぐ。

 ところが、彰子は「なにゆえ、私に一言もなく次の東宮を敦成とお決めになりましたのか!」と激怒。彰子と敦康皇子の仲むつまじさは道長も知っているだけに、ある程度の反発は予想していたかもしれない。

 だが、養母として敦康をここまで大切に思っていたとは、道長も思わなかったのではないだろうか。彰子は道長に「父上はどこまで私を軽んじておいでなのですか!」と言い放っている。

 わが子が皇太子になれるというのに、彰子が喜ばなかったことは『権記』にも「后宮(彰子)は、丞相(道長)を怨み奉った」と記されている。

 ドラマでは、彰子がまひろ(紫式部)に「中宮なぞ、何もできぬ。愛しき帝も敦康様もお守りできぬとは」と涙する場面もあった。父への恨みを深めながらも、自分の実力不足を痛感したようだ。

 かつては「仰せのままに」としか言わなかった彰子が、父の道長にキレるという変貌ぶりは、大きな反響を呼ぶことになった。この苦い経験をもとに、彰子はここからさらに成長していくことになりそうだ。