被害者を社会活動に参加させることはどこまで許されるか?

 進化したAI技術を活用して、故人をよみがえらせる――。そうした行為が一般的になりつつあることについては、以前にこの連載でも取り上げた(「“大川隆法化”し始めたAIサービス、「ゴーストAI」でリアルに実現するイタコ的世界」)。

 その際には、残された家族が追悼のために故人を復活させるという事例を紹介したが、今回の事例ではそこから一歩進んで、社会への働きかけのために故人の姿が再現されているわけである。

 もちろん、フェンタニルの被害を食い止めようとすること、あるいは銃乱射事件を減らそうとすることは、社会的に大きな意義のある行為だ。その犠牲となった人々も、おそらく自分たちのような犠牲者を増やしたくないと思っていることだろう。

 しかし、彼らの姿をAIで復活させ、まるで本人がそうしているかのように特定のメッセージを言わせるという行為は、どこまで許されるべきなのだろうか。

 確かにいずれのキャンペーンも、家族などから「復活」の承認を得ている。しかし、それはあくまで家族による同意であり、故人がこのような再現を承認しただろうかという疑問については、生前に遺書でも残していない限り判断ができない。

 判断できないままキャンペーンを進めるというのは、死後であっても個人の自主性や主体性を尊重することについての懸念を提起するものとなり得る。

 たとえば、銃規制は米国では国を二分するほどの論点となっている。銃の所持、あるいは自らの命を自らの手で守ろうとすることは、人権の一部だとすら考えている人も多い。

 その是非はここでは問わないが、仮に皆さんが銃の所持を規制するべきではないと考えているとして、不幸にも銃乱射事件で亡くなるようなことがあったとしたら、自分の姿がAIで復活して「銃は規制すべきだ!」と叫ぶのをあの世から見て、いったいどう感じるだろうか?

 もう死んでいるのだからどうでも良いだろう、というわけにもいかない。「死人に口なし」だから何をしても良いというのでは、故人の尊厳を守るさまざまな行為を否定することになってしまう。死後であっても、個人の意思は尊重されるべきだ。

 これからAIがさらに進化した時、遺言書の中で「私の死後、私をデジタル技術で復活させることを禁ずる」などと釘をさしておくことが一般的になるかもしれない。そうなる前に、ディープフェイク系のAI技術の利用に関する規制やガイドライン類が整備されることを期待したい。

【小林 啓倫】
経営コンサルタント。1973年東京都生まれ。獨協大学卒、筑波大学大学院修士課程修了。
システムエンジニアとしてキャリアを積んだ後、米バブソン大学にてMBAを取得。その後コンサルティングファーム、国内ベンチャー企業、大手メーカー等で先端テクノロジーを活用した事業開発に取り組む。著書に『FinTechが変える! 金融×テクノロジーが生み出す新たなビジネス』『ドローン・ビジネスの衝撃』『IoTビジネスモデル革命』(朝日新聞出版)、訳書に『ソーシャル物理学』(草思社)、『データ・アナリティクス3.0』(日経BP)、『情報セキュリティの敗北史』(白揚社)など多数。先端テクノロジーのビジネス活用に関するセミナーも多数手がける。
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