バイデン政権やハリス氏の手柄になる停戦はしたくない?

 一つには、ネタニヤフ氏自身の汚職容疑などが関係するとされる。同氏は2019年、収賄、詐欺、背任の3つの罪で起訴されている。有罪とされれば、懲役10年を宣告される可能性もある。これを免れるためには権力の座を退くわけにはいかず、連立を組む極右の意向をくまざるを得ない状況下にあるとも見られている。

 アルジャジーラの取材に応じた専門家は、ネタニヤフ首相自身の事情が、常に攻撃を続ける口実や相手を必要としていると指摘した。イスラエルの国民に、常に戦争状態にあるという概念を植え付け、それによって支配し、権力を維持する目的があるという。

 更に、イスラエルはこれまでもパレスチナの主権国家樹立に向けた政治的な解決を妨害してきた、という専門家の指摘も報じている。専門家は、イスラエルがこれまでも多数のパレスチナの指導者を暗殺してきた経緯があり、今後もその方針は続くだろうとしている。

 アルジャジーラはまた、シンワル殺害はガザでの「完全な勝利」を唱えるネタニヤフ氏を支持する極右勢力を勢いづかせ、その様は「まるで麻薬中毒者のようだ」とも伝えている。

 英国の対外情報機関、秘密情報部(MI6)ジョン・ソーヤーズ元長官は英スカイニュースの取材に対し、シンワル氏の殺害で紛争解決が近づく見通しはないと発言した。ハマスが今後、穏健かつ妥協的な指導者を選ぶ可能性は低く、より強硬な派閥が出現するだろうとも指摘している*5

*5Ex-MI6 boss warns UK may face more Islamist extremism due to Middle East unrest(Sky News)

 ソーヤーズ氏はまた、投票が来月初旬に迫っている米大統領選前に、ネタニヤフ氏がバイデン政権や、次期大統領候補であるハリス副大統領に有益となる停戦合意をすることはないだろうとも言う。ガザ攻撃を巡っては、米国などによる度重なる停戦合意要請を無視してきたネタニヤフ氏と、バイデン政権との間の軋轢もある。ソーヤーズ氏は、ネタニヤフ氏がおそらくトランプ前大統領の勝利を望んでいるだろうとした。

ネタニヤフ氏は米大統領選でトランプ氏の勝利を願っているとされる(写真:AP/アフロ)

 ネタニヤフ氏は19日、トランプ氏と電話会談を行っている。この中で、ネタニヤフ氏はトランプ氏に対し、「イスラエルは米政権による問題提起を考慮はするものの、最終的には自国の国益に基づいた判断を下す」と話したとされている。

 ガザ攻撃と並行して行われているイランとの軍事対立について、ネタニヤフ氏はイランへの報復攻撃を検討しているとトランプ氏に伝えたという。それに対しトランプ氏は「やらなければならないことをやれば良いと言った」と話したとしている。

 シンワル氏殺害後の20日、イスラエル紙ハアレツは「シンワルが悪魔なら、(我々)イスラエルは何だ?」というコラムを掲載している*6。「無視してはならないのは、我々自身の自己認識の欠如と盲目さだ。ヤヒヤ・シンワルが悪魔だったのなら、この1年のイスラエルの行動は、どう定義づけられるのだろうか。そして、それは世界中でどのように受け止められているのか」と問うている。

*6Opinion | If Sinwar Was a Devil, What Does It Make Israel?(HAARETZ)

 パレスチナの悲劇は、イスラエル市民自身の手でネタニヤフ政権を打倒し、真の和平を求める指導者を自ら選ぶことでしか、止めることはできないのではないだろうか。

楠 佳那子(くすのき・かなこ)
フリー・テレビディレクター。東京出身、旧西ベルリン育ち。いまだに東西国境検問所「チェックポイント・チャーリー」での車両検査の記憶が残る。国際基督教大学在学中より米CNN東京支局でのインターンを経て、テレビ制作の現場に携わる。国際映像通信社・英WTN、米ABCニュース東京支局員、英国放送協会・BBC東京支局プロデューサーなどを経て、英シェフィールド大学・大学院新聞ジャーナリズム学科修了後の2006年からテレビ東京・ロンドン支局ディレクター兼レポーターとして、主に「ワールドビジネスサテライト」の企画を欧州地域などで担当。2013年からフリーに。