ええしのぼん

 筆者らは悄然と球場を後にしたが、玉造界隈に差し掛かると、中学から明星に通っていた級友がある建物を指さして「あれが岡田の家や」と言った。それはちょっとしたビルディングで、紙関係を扱う商店のようだったが「岡田さえいればなあ」とそのとき、心底から思ったものだ。

 岡田彰布は大阪の自営業の家に生まれた。大阪弁でいう「ええしのぼん(いいとこの坊ちゃん)」だった。大阪では「ええしの家」の子供は、大学は東京の、それも東京六大学に進むのが本筋だった。

 大阪の旧制市岡中から早稲田大学に進み、のちに日本高野連を創設する佐伯達夫、浪商高から明治大に進み巨人のV9戦士になった高田繁などと同じ道と言えよう。

 北陽高校時代の岡田はすでにプロ野球が注目する選手になっていたが、岡田はプロには行かず早稲田大学に進んだ。「ええしのぼん」だから当然だが、「野球ではなく勉強で行った」とのことだ。