中村匠吾選手 写真提供/ナイキ ジャパン

(スポーツライター:酒井 政人)

MGC以来の5年ぶりの優勝

 4年前の夏、札幌の街を必死に駆け抜けた中村匠吾(富士通)が笑顔でゴールを迎えた。それが8月25日に開催された北海道マラソンだ。

 タイムは気にせず、「勝負にこだわろう」と考えていた中村はレース後半、アグレッシブな走りを見せる。

「余裕があったので、31kmあたりで揺さぶって、これまでとは違う自分のレースができたのかなと思います」

 フィニッシュ時には気温が26.5度まで上がった酷暑のレースを2時間15分36秒で優勝。マラソンは2019年のマラソングランドチャンピオンシップ(MGC)以来、約5年ぶりの栄冠だった。

2024年8月25日、北海道マラソンの男子で優勝した中村匠吾選手 写真/共同通信社

「東京五輪は故障の影響もあって、思うような結果を残せずに悔しい思いをしました。だからこそ、もう一度、札幌の地に戻って、優勝したいという思いが強かったんです。北海道マラソンは今シーズン一番大きな目標にしていた大会ですし、そこで勝てたのはうれしかったですね」

東京五輪の延期から苦悩の日々へ

 中村は2019年9月のMGCで服部勇馬(トヨタ自動車)や大迫傑(Nike)らを抑えて優勝。東京五輪の男子マラソン代表内定を真っ先にゲットした。しかし、マラソンコースは「酷暑を回避する」ために東京から札幌に移転。さらにコロナ禍で東京五輪は1年延期となり、中村は〝見えない敵〟に追い込まれていく。

「プレッシャーがありましたし、コロナ禍のなかで賛否ある五輪になったので、葛藤もありました。走るからには絶対に結果を残したいと思っていたんです」

 2021年のニューイヤー駅伝までは順調だった。中村は当時最長区間だった4区を担当。3位でタスキを受け取ると、区間2位の走りでトップを奪う。エースの快走で勢いに乗った富士通は12年ぶりの優勝を飾ったが、その後は故障に悩まされた。

「ニューイヤー駅伝を終えて、東京五輪に向けて準備しているなかで、足首を痛めたんです。残り半年で東京五輪だという焦りもあり、疲労が残っていても、『やらなければいけない』という気持ちがありました。右足を痛めると、それをかばって今度は左足が痛くなる……。振り返ると、心と体がうまくマッチしていなかったのかなと思います」

 東京五輪は万全な状態で迎えることができず、失意のなかでゴールを迎えた。その後も、足首の故障が完治せず、苦しい日々が続く。

 パリ五輪代表選考のMGCは出場権を得ることができず、MGCファイナルチャレンジ指定大会の大阪マラソンは途中棄権。2大会連続の五輪出場に近づくことさえできなかった。