この日はそれだけでは終わらなかった。その後、吉田氏は災難に見舞われる。

「深夜0時になってまた田辺署の捜査員がやってきて、突然『出ていけ』と命令されました。突然のことにカチンときて説明を求めたところ、『つべこべ言わずに外へ出て、そこの車(捜査車)で待機しろ』と言われて2~3人の捜査員に強制的に身体を引っ張られて追い出されてしまったのです。この時、脇の下を掴まれて腕に内出血をしたほどの暴行を加えられました」(吉田氏)

 結局、吉田氏は午前5時まで続いた家宅捜索中、外の警察車両で待機をしていたという。このときの“暴行”について吉田氏は警察に対して謝罪を求めたが、警察は応じなかった。そして、警察から吉田氏に対しては野崎氏死亡の件についても聴取すらしなかったという。事件の当事者宅に居合わせたジャーナリストを警戒したのだろうか。

「内出血した様子は写真にも残しています。警察は素直に謝るべきだと思います。証拠もあるので傷害罪で訴えることも可能な案件です。あの警察のこの態度には呆れましたが、ボクが抗議したので、警察も意地になってボクからは聴取しなかったのだと思います」(吉田氏)

出廷した密売人

 それはさておき、10月1日の第7回公判では、事件の約1カ月半前に覚醒剤の密売人として、和歌山県田辺市内で女性に覚醒剤を売り渡したとみられる男性が、証言台に立った。

 売人の出廷は予想されていた事態であったが、決定的証拠として裁判の後半時期に出廷させる作戦だと思っていただけに、第7回での登場は少々予想外ではあった。

 検察側は売人の証言などをもとに、“覚醒剤を購入した女性客は須藤被告だった”と主張している。

 検察側の主張を見てみよう。18年4月7日、早貴被告はインターネットで検索して覚醒剤売人組織とコンタクトを取る。早貴被告の注文に応じた売人グループの一人で、大阪市内に住む今回の証人Yは、仲間4人とともに車で田辺市内までやってくる。そして午前0時ごろ、早貴被告と落ち合って覚醒剤4グラムを10万円ほどで売った――というものだ。

 この“取り引き”の30分ほど前に早貴被告はコンビニのATMで10万円を下ろしていることも確認されている。