食品トレーの覚醒剤反応は誰が

「第5回公判では捜査を担当した警官が証人として出廷、野崎さんの寝室から微量の覚醒剤反応があったことを証言しました。寝室脇の洗面所からは日常使用していたコップや歯ブラシからも検出されていたし、寝室のシーツや床、そして野崎さんが普段着用していたエルメスのオレンジ色のバスローブからも出ています。さらには1階の台所のゴミ箱に捨てられた食品トレーからも反応がでていますし、そこの床からも出ていましたが、覚醒剤自体は発見されていません。

 また19年7月に都内の早貴被告の自宅を家宅捜索した際にも彼女のハイヒールやサングラス、そしてパスポートケースなどからも反応が出ています」(前出・司法担当記者)

 このように覚醒剤の反応は、野崎氏宅と早貴被告の所持品から、複数検出されている。

 ただ公判では、早貴被告側の弁護士がさまざまな覚醒剤反応について、こう指摘する一幕もあった。それは、野崎氏宅の1階キッチンにあったゴミ箱に捨てられていた食品トレーから覚醒剤反応が出たことについて、事件翌日(5月25日)から野崎氏宅で寝泊まりしていたフライデー記者の吉田隆氏が使ったものではないか、というのだ。早貴被告やお手伝いさんがそのように証言したという。

 ここに登場する吉田氏は、取材を通じて知り合った野崎氏とその後も親しく付き合っており、その縁で野崎氏の著書『紀州のドン・ファン』『紀州のドン・ファン 野望編』(ともに講談社+α文庫)の構成、いわゆるゴーストライターを務めた人物である。田辺市の野崎氏宅にもたびたび訪れているという。

 野崎氏が亡くなった5月24日も、野崎氏から電話で「相談があるので田辺まで来てほしい」と懇願され、翌25日に訪問する約束をしていた。その後、野崎氏は自宅寝室で急死したという経緯がある。