「あんた、辞めたら承知せえへんで」

 アベノミクス後継者を任じる高市早苗氏も明解な対立軸がある。積極財政・金融緩和・円安容認は野田氏とは真逆。そもそもアベノミクスが中途半端に終わったのは、野田内閣の時、自公も賛成して通した消費増税を含む社会保障と税の一体改革のタガがハメられていたためである。国民所得の伸び以上に国民負担率が上がってしまったのだ。高市総理がそこまで踏み込んだ答弁をするのは無理だが、国会論戦は俄然、面白くなる。

 次期アメリカ大統領がどっちになるかも次期総理にとっては大事な話だ。民主党カマラ・ハリス副大統領とウマが合いそうなのは、河野・上川・林・石破の各氏。共和党ドナルド・トランプ元大統領の場合は、茂木・小林・高市氏といったところか。小泉・加藤両氏はどちらでも合わせられるだろう。

 各候補に対する全く個人的感想になるが、まず、石破さんは敬虔なクリスチャン。母上のご葬儀で参列した時、相当信仰心は厚いように感じた。初めて選挙に出る時は田中角栄元総理から私の親父(ミッチーこと渡辺美智雄)が頼まれて全面支援した。「勇気とまごころを持って真実を語れ」というミッチー語録は消費税創設をめぐって語られた。ただ、金融危機後の晩年のミッチーは積極財政論者で、その頃石破さんは自民党にいなかった。

 高市さんは18兆円減税を掲げた新進党を離党し、財政規律重視の自民党(三塚派)に入った。森喜朗内閣の時、私は一年生議員ながら森倒閣運動をやっていた。ある日、本会議の開始直前、ひな壇に内閣が勢揃いしている中で高市さんが森総理に歩み寄り「あんた、辞めたら承知せえへんで」と言うのを聞いてしまった。度肝を抜かれた鮮烈な記憶がある。

通常国会会期末で清和政策研究会(清和研、清和会)の打ち上げ式が行われ、参加する高市早苗と森喜朗元首相=2006年6月16日、東京・赤坂プリンスホテル(写真:上森清二/共同通信イメージズ)通常国会会期末で清和政策研究会(清和研、清和会)の打ち上げ式が行われ、参加する高市早苗氏と森喜朗元首相=2006年6月16日、東京・赤坂プリンスホテル(写真:上森清二/共同通信イメージズ)
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 進次郎さんは親父さん(小泉純一郎元総理)と違ってクセがなく、人当たりも非常に良い。人の顔を覚える才能は高い。ある年の元日、宮中参賀で松の間まで歩いて行く時、進次郎さんとおしゃべりしていた。私は家内と一緒だった。しばらく経って妻が議員会館のエレベーターでバッタリ出会ったら、「あっ、渡辺先生の奥様」と言われたそうだ。 

渡辺氏は「人当たりが良く、顔を覚える才能が高い」と評す(写真:アフロ)渡辺氏は「人当たりが良く、顔を覚える才能が高い」と小泉氏を評す(写真:アフロ)
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 林芳正さんの実家は下関の小高い山のてっぺん。ご先祖が伊藤博文と李鴻章の下関会談をセットした時の写真があった。幼い頃からピアノやヴァイオリンを習い、国会議員になってもTHE GIINS というロックバンドをやっていた。外相会議の余興でジョン・レノン「イマジン」をピアノで弾きながら歌った時は反戦歌かと物議を醸したが、天は二物も三物も与えることもある。

 上川さんとは「大陸棚推進議員連盟」を一緒にやっていた。初代会長は扇千景元参議院議長で2代目が福田康夫元総理。私が幹事長で上川さんは事務局長。結果は日本の太平洋側大陸棚延伸が認められ、日本の排他的経済水域は広がった。福田内閣時代、総理の覚えが抜群で、目玉の公文書公開を任された。上川さんは実務能力は高いが、笑顔の少ないのが玉にきず。

 河野太郎さんはかつて自民党の反逆児で、法案に反対して処分されたことは数知れず。自民党異端派のホープだった。因みに私は一回だけ(下から二番目の訓戒)。今回持論の脱原発も取り下げ、麻生派丸抱えのようなイメージなのが、前回のような勢いがない最大の理由か。財政規律重視で円安抑止利上げを唱導したのはまずかった。

 茂木さんは文書も映像で記憶するという異才の持ち主。かつてはすぐキレる、秘書がすぐ辞めると言われたが、最近は丸くなったようだ。出馬会見で司会を務めた鈴木隼人代議士は私が行革相当時の大臣補佐官。私の言葉で発言メモを作ってくれるので助かった。茂木さんの立候補会見は分かりやすい言葉で良かったが、あんなに緊張している姿は初めて見た。

 いずれにしても1位2位の決戦投票になるだろうが、フジ・サンケイは自民支持層と国会議員の調査で小泉vs石破、日テレは早い段階で石破vs高市と報じている。日テレは毎回違う党員サンプル調査を元にしているので確度が高いかも知れない。小泉vs高市の構図はないと思う。