1969年5月、決勝打を放ち笑顔でインタビューを受ける長嶋茂雄(写真:共同通信社)
拡大画像表示

(広尾晃:ライター)

高校時代は無名の選手

 長嶋茂雄は1936年2月20日に現在の千葉県佐倉市で生まれた。長嶋が生まれる15日前の2月5日にNPBの前身である日本職業野球連盟が結成されている。長嶋はまさにプロ野球の申し子と言っても良い。

 臼井町立臼井小学校時代の長嶋は、身体は小さかったが非常に足が速く、鬼ごっこをしていた同級生が絶対につかまえられないのでみんなが白けてやめてしまったという話が残っている。当時から草野球に夢中で「鶴岡(一人、南海の名三塁手)みたいになるんだ」が口癖だったという。

 勉強は優秀で、千葉県では屈指の進学校だった佐倉一高(現佐倉高)に進む。野球部に入ったが、佐倉一高は今に至るも一度も甲子園には出場していない。またプロに進んだのも長嶋茂雄と巨人の投手だった山岡勝の二人だけだ。

 高校時代は主として遊撃手だった。長嶋が3年生の1953年には佐倉一高は夏の南関東大会で準々決勝まで進んだが、8月1日、埼玉県の大宮公園球場で埼玉の熊谷高に1-4で敗退している。しかしこの試合で佐倉一高が挙げた1点は、長嶋茂雄がセンターバックスクリーン横に打ったホームランだった。飛距離107mとされるこの当たりが、長嶋が高校時代に打った唯一のホームランだった。

長嶋茂雄が高校時代唯一のホームランを打った大宮球場(2024年、筆者撮影)
拡大画像表示

 この年9月下旬、巨人のスカウトの若林俊治は、二軍監督の谷口五郎とともに佐倉一高に出向き、長嶋茂雄を見ている。打球の7割近くが右中間に飛んでいた。若林は「左翼にあった校舎に当てないためかな」と思ったが、とにかく打撃センスは抜群だった。すでにこの年に巨人は長嶋を認識していた。