「失われた30年」がもたらす「業」

 もとはと言えば、期待への働き掛けを重視し、短距離走で2%インフレそのものを実現しようとした金融政策が長く続いたところに原因があるのかもしれない。あるいは、もっと良くなるはずだと願い、とにかくできる政策は何でもやってきた、この30余年の経験がなせる「業」のためか。

 言ったことと違うことをすれば、信認は崩れる。しかし、そもそもマクロ経済は、予め誰か思った通りになど動かない。予想していなかったことも起こるし、期待したような効果が出ないこともある。

 その時、「前に言ってしまったから」という理由で、アクションを変えないのは、長い目ではかえってマイナスだ。前提条件が変化すれば、それに応じたアクションも変わって然るべきだ。

 そういう「豹変」の時、公式声明は苦しいものになるが、それを受け取る側も君子であれば、まあそういうものだとなるだろう。しかし、残念なるかな、私たちは小人なので、どうしても「革面」になってしまう。面を革(かく)すとは、上っ面だけを変えて本質を改めないことを意味するという。

 前提条件の変化の最たるものが、外生要因による昨今のインフレだ。インフレによる弊害が顕在化してきたとはいえ、日本経済の景色は随分と変わった。ようやくある種の躍動感が出てきた気はしないだろうか。そのダイナミックな感覚こそ、日本経済が随分と長い間忘れていたものである気がしてならない。

 経済がよりダイナミックに動くのであれば、金融環境もそれに呼応してダイナミックに動いた方が良い。「2%インフレになるまで微動だにしない」「2%インフレが確実でないのだから動くべきではない」というのは、どちらも「昭和の頑固おやじ」のような思考回路に感じられてならない。私たちの思考にも躍動感を取り戻すべき時ではないか。

 確かに、このままインフレ期待が2%にスムーズにアンカーされるなどという、都合の良いことが本当に起こるかどうか。これまで日本経済がなかなか思った通りにならなかったことを振り返れば、あやしいと思っていた方が安全だろう。しかし必要になったら、また金融環境を緩和的にすればいいのである。